人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

結局のところ、やる人間はやるしやらない人間はやらない

雑記です。寒すぎて秋はどこへいってしまったのかと感じる今日この頃、皆さまお元気でしょうか。

向上心と行動力は違う概念

最近、いや最近でもないかもしれないですが、○○したいが助言が欲しい、と言われることがあります。私も暇ではないのですが、まあ日頃のお付き合いや内容如何で相談に乗ることが多いです。

わざわざ質問してくるくらいだからさぞやる気があるのであろうとこちらも準備して話を聴くのですが、ここで2パターンに分かれます。基礎的なことを調べてきている人とそうではない人です。A or not A型なのでMECEですな。

前者はまあ分かりやすく話が進みます。サクサク進むし助言も効果的に活用してくれることが多いです。行動力のあるパターンです。

問題は後者なんですねえ。基礎的なことすら調べないような人がこの世にはたくさんいます。貴方の持っているスマホは世界に繋がっているツールだというのに。時間は有限であり、昨今リモートワークも定着していることで、chatやメールで良いところ、実際に対面する行為は何かしら付加価値を伴う必要があります。仕事柄時給労働者の意識が強いんで、余計にその辺り敏感です。まあ、相談に乗るという意思決定は既になされているので話はしますが、あまり実のある話ができたなと感じることは少ないかなと。で、結構な人たちは助言した内容をやってくれないんですよね。何かしらの理由をつけて。忙しいからとかまあ理由は人それぞれですが。それでまた面白いことに困ってるから相談に乗れとのたまう。だって前に言ったことやってくれてないじゃんと突き返したくなるのですが、まあそこはお付き合いの度合いにもよるので色々対応は変わります。

前述した人どちらも現状を変えたいと思っている向上心のある人には間違いないのですが、これが不思議と実際に行動するか否かになると話が別物になるんです。大学くらいまでは向上心がある、だから質問もするし助言も求める、そして行動に移すというフローを想像していました。しかし、社会人になってからは慣性が悪い意味で効いていて助言を聴いたり本を読んだりはするけど、具体的な行動は起こさないという私からすると行動様式のよく分からない人が割とたくさんいることに気づきました。

やる人間はやるしやらない人間はやらない

周囲の方々と接する中で色々サンプルを取ってみましたが、表題の結論に達しました。行動力を伴っている人は何らかの困難があってもやります。たとえそれが失敗に終わっても、やったかやらないかで言えばやった側に入ります。一方、行動力を伴わない人は良いインプットをしたところでアウトプットすることはありません。まあ私の人生でもないですし、無理すると心身が壊れることを身をもって知っているので何も咎める気はありませんが、ああこの人に時間をかけるのは(少なくとも当該領域においては)無駄だなと切り捨てるだけです。

話は変わりコーチングって最近よく話題に挙がるじゃないですか。リモート環境での新人のOJTが足りないだとかそういう文脈で上司からのコーチング不足が指摘されることがあります。

私の観測する限りでは、社会人の上司と部下という立ち位置でやらない人間をやる人間に変えるのは無理ではないかと感じています。もう少し親密な間柄なら何かしら方法があるでしょうが、何かしたらすぐハラスメントだーなんだという世知辛い世の中。上の立場の人間のできることは限られています。やらない人間はその人にとって性根を変える大きな出来事がないと多分いつまで経ってもやりません。成長を促進する情報や行動様式をインプットしても、結局やらない理由探しが始まります。これは肌感でも言えますし、何人かの先輩からも同じような話を伺いましたので、方向性に大きなブレはないような気がします。行動力や持続力は、少なくとも社会人の段階においては、外部からの刺激で後天的に備えられる特性ではない、そのような理解に至りました。

おわりに

自身の成長やら自己研鑽やら綺麗な言葉が並んで久しい現代社会ですが、特段昨日と変化のない毎日を送る人の多いこと多いこと。これは専門職でもそこそこ該当することでなかなか驚愕している次第ですが、日本においてはそういう人でも暮らせる土壌が良くも悪くもあるということが私にも解ってまいりました。だから経済成長しないんだ議論もあると思いますが、まあ新興国のパワーに勝てない理由の一つではないかなと。他人の論評ばかりしてないで私は頑張りますよっと。