人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

所属の欲求と消えない希死念慮

フリーランスという名の無職になってそれなりに経ちました。仕事も少しずつ取ってきていますが、家賃すら払えないので稼いでいるうちに入らないでしょう。

「無」職という状態

無職とは、職が無いということです。フリーランスとして仕事を多少なりしているけれども、有職から無職という文脈においては、会社という社会的な機関から籍を失う状況変化を意味します。したがって、この場合の無職は会社に所属がないことを指します。

この状況を経験するとしないとでは、状況に対する解像度が異なるということを痛感しています。マズローの欲求階層には所属欲求がありますが、この「誰からも必要とされていない」感覚は体感しないと分からないところです。

平日日中に暇なことが辛い。貯金は右肩下がりで精神的に摩耗もする。誰とも会話しない孤独な時間が続く。幸い即座に路頭に迷うほど金融リテラシーが低いわけではなかったから良かったものの、所属がない不安感は払しょくされません。

今年は貧すれば鈍すると無限に言っていたわけですが、7月までと8月からでは状況が異なります。収入が想定できる状況から一気に環境が変わり、追い込まれ方が違います。

「死」という概念

感覚の話をします。オカルトではないです。

1月の体調が底の時、私にとって死というものは手を伸ばせば届く、というか右膝の上辺りに死神がいた気がしました。職場復帰することとなって実家から戻った時には、それがすごく遠くにいってしまい、ほとんど見えなくなっていました。もういなくなってしまったかのように。

しかし、最近近くに現れるようになったんですよね。まだ感覚的に遠いですが、視界には十分に届くというかなんというか。見えるんです。最近急に不安が強くなることがあります。きっかけはよく分かりませんが、不安感が強くなると急に視界が狭くなります。その時に死神のようなものが急速に近づいてくる感覚があるんです。

生きるという最低限のことですら上手くいかないというのは、怖いことです。

続きます。