人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

生きにくさについていい加減気づいたこと

どうも皆さまお疲れ様です。ようやくようやく繁忙期も終わりを見せ始め、ほっとしております今日この頃でございます。

ブログに書くことなんて全て私事なのですが、特に私事なこととしては最近また歳をとりまして一歩ずつ昔漠然と考えていた大人に年齢的に近づいてまいりました。

はじめに

さて、歳もとって社会人として様々な方々とお会いしました。そこで気づいたことを書きます。ややアグレッシブな内容になりますが、特段これから書く人々が間違っているだとかダメだとかそういう次元の話ではなく、私から見た世界はこうだったということを淡々と述べたいだけです。そして、私のような人間はどう振舞うべきかを考えたいだけです。弱小ブログの雑魚の記事なんで、ここまででイラっときたらブラウザバックをお勧めします。

一般的な社会人は勉強などしない

まずこれです。私は一応勉強が必要だと思われる領域でお仕事させてもらってますが、本当の意味でがりがり勉強する人はごく僅かです。ある程度採点を妥協しても割合にして5%くらいでしょうか。

最近こんな本を読みました。

この本はPFNという新鋭IT企業の創業話から現在までの取り組みや理念を紹介している本です。タイトルにもある「Learn or Die」は当該企業の行動指針になっています。私はITの世界に身を置いてはいませんが、刻一刻と変化するビジネスに対してそれを敏感にキャッチすること、規制や基準の変更をキャッチしクライアントにより高い付加価値を提供するプロフェッショナルとして行動することの重要性をよく理解しています。本書ではマグロと例えられていますが、ITに限らず専門家はそうあるべきです。動きを止めたら陳腐化の波が襲います。

私の労働によるクライアントへの請求額を見るといつも身が引き締まる思いです。常にこれだけの成果を出しているのか、クライアントの信頼を裏切ることをしてはいけないと考えています。だからこそ勉強する、必要な能力を持てるように。もしくはいずれ必要になる引き出しを増やせるように。

しかしながら。

私の周りで私のような人間はいない。

いないんです。切磋琢磨できる仲間が。これは悲しいことに事実です。

もし読んでる人で熱意溢れる人がいたら連絡ください。お互い励ましあいながら勉強しましょう。

畢竟同期からも浮くことなります。冷めた目で。お前何やってんの。もしくはストイックですね。先輩すら引き気味な目を向けます。

私は採用にも関与していましたが、もうやめることにしました。外れ値を外に出してミスマッチが起きたら勿体ないですしね。

「仕事しててもアクチュアリー取れますよ!」

サンプル私一人ですし、後ろに何人落ちてるもしくは諦めている人がいることか。

私は上記本の著者のように受験勉強をろくにせず東大に入れる頭はありません。悲しいことに遺伝子レベルで差を感じます。しかし向上心というか、プロとしての矜持を持ち走り切ることの重要性をよく理解しています。

もちろん人にはライフステージがあることを理解しています。仕事に対しての姿勢も様々です。はじめに書きましたが良い悪いの話ではないんです。でも知的労働をしつつ余暇にゴリゴリと勉強するのはよほど頭がいっちまってる人だけだというのは事実です。私は圧倒的少数派です。

もう一度申し上げます。一緒に勉強してくれる人がいましたらご連絡をください。当方お仲間募集中です。私は英語とアクチュアリーと会計をやります。

一般的な社会人は読書などしない

次の事実です。普通の社会人は本を読みません。

読まないんです。本を。

思えば小学生の頃から本の虫な私。いつだって手元には何かしら本がありました。

国語の教科書で何かの評論の抜粋があれば引用元を読みにいきましたし、夏の100冊とか本気で100冊読みにいった時期もありました。

中学生の時はライトノベルや恋愛小説に傾倒するとともに、近代日本文学やドイツ文学にはまりました。高校生になるとロシア文学や詩集に手を出すとともに、新書などをむさぼるように読みました。大学生の時はさすがにペースは落ちてきましたが哲学書を読むとともに古典的な自己啓発本なども読んできました。

最近は仕事関係の本を読むことが多いですが、それでも週1冊程度のペースは維持しています。書店での立ち読みもよくします。上記記事のお勧めとして紹介されている『人を動かす』(テール・カーネギー)や『失敗の本質』(戸部良一ほか)、『7つの習慣』(スティーブン・R・コヴィー)もすべて読んでいます。

ですから上記事実は私にはもはや発見です。

なぜみんな本を読まないのか。

本を読むということは自分の世界を広げることです。貴方の抱えている疑問、それもう昔に答えが出ていますよ。本を読むと世界の解像度が上がります。なるほどね、が増えます。

読んでいたとしても、名前は出しませんがうさんくさい自己啓発本だったりします。やたらでかいフォントで常識をひっくり返すことが書いてあり、巻末にリファレンスがひとつもない類のあれです。

ところでもうすぐ都知事選がありますね。皆さんは選挙についてどこまで知っていますか。参政権というものがどういった過程で一般庶民まで与えられるようになったのか。そもそも間接民主制と直接民主制、寡頭政治と独裁政治についてどこまで話せますか。ポピュリズムと世界の分断について何か意見はありますか。多分皆さんないんじゃないかと思います。この辺りはルソー等の小難しい本を読まないと出てきませんし、大学受験の知識だと自分の意見までは持てませんからね。

都知事選ひとつ取っても蓄積された情報量によって受け取り方が違います。世界の解像度という表現は私が多分言い出したことだと思いますが(未検証)、ある勉強もしくは知識を持っている人はもっていない人に比べて様々なアイデアが頭に浮かびます。目の前のPCは私にとってはPCですが、おそらくSEの方は違う見方をしているはずです。

かなり譲歩して最近流行っている本に目を通しても、読んでない人が多すぎて話題にすら出せません。本当に流行っているのか疑問に思います。上記調査が本当だったら誰が書籍業界を支えているのか、これがわからない。

私はFlierという要約サービスも使っているので、それをカウントに入れると相当数の本に目を通していることになります。読書ひとつとっても私は外れ値になります。

一般的な社会人は長期リスクに敏感でない

普通の社会人はコンフォートゾーンに安住する生き物であるという事実。コロナの流行で世界は一変しましたが、一変したと考えている人はそれほど多くないと思います。今日は所用で某大都市に赴きましたが、マスクを着けているものの、そこには通常通りの生活がありました。もちろん自粛し続けろ的な話をしたいわけではないです。でも何か変化に対して鈍感な姿を感じました。

給与所得者の皆さんは給料をJPYでもらっていると思いますが、JPY以外の通貨を保有していますか。内閣支持率が低い割にJPYの信頼は高いようで、外貨預金をしている人に私はそれほど遭遇したことがありません。

その1万円札が1万円の価値を持っていると保証しているのは日銀および日本政府です。したがってその信頼が失われた途端に紙切れになります。風刺画ではないですが、精々足元を照らせるくらいでしょう。別に日本政府が滅びるとは思ってはいませんが、先々のリスクを考慮してポートフォリオを組むのは必要ではないですかと。いきなりブレトンウッズ体制になったら死にますよ私たち。

今回のコロナでパンデミックリスクが顕著になりましたが、ブラックスワンのことを考慮していない人々が多すぎると感じています。これについては最近読んだ本が面白かったので紹介させてください。

この本もまた結構難解なのですが、上記ブラックスワンの話やらリスクを取らない政府御用達学者をぼろくそ言ってて楽しいです。エルゴード性という概念は知っとくと良いと思います。統計学の信頼区間95%というものを初学者に厳密に説明できないのもこの辺にあります。

一方で私は10年後辺りまでの世の中を見据え現在の動きを考えています。10年後なんてわかるわけがない、おっしゃる通りです。だからこそ考える必要があるんです。

勤めている御社は10年後に生き残ってますか。もし絶対的にYesと言えないなら転職市場で使えるスキルを持っておくことを推奨します。ブラックスワンというのはそういうことです。ちょっと前の外銀業界ではドイツ銀行が日本撤退するんじゃないかと盛り上がりましたが、外資系企業に勤めてイケイケな人たちも親会社が日本から撤退する意思決定をした瞬間にクビです。

私は特段なんの後ろ盾も持っていない凡人です。ですから生き残るためには頭を使うしかないのです。常に考えます。今の自社の立ち位置、その中での自分の立ち位置。業界の動向から世界の方向性も。目に見える短期長期のリスクをできる限り洗い出し、最適な選択をできるように立ち回ろうと努力しています。これがなかなか面白いので仕事にしたいなと思ってるわけです。したがって私の行動は一つ一つ行う理由を説明できます。

しかしながら。

世間一般はこういう感覚ではないようです。今日という日は明日も続くと考えているようです。世界5分前仮説では5分前に作られたので間違ってませんが、世界は知らないところでこっそり姿を変えているかもしれません。

この危機感を共有できる人が私の周りにはいません。本当に。

明日隕石が降ってくることはないでしょうが、首都直下地震が来る可能性はありますよ。その時御社どうするんですかね。例えばですが。

一定以上の読書経験もしくは人生経験を持っている人は、ある程度歴史から学ぶことで、上記リスクには対応できるということを知っています。愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶのです。その点で上記読書をしない社会人にも共通しますが歴史を学ばないと自分の行動を考えられないはずなんですがね。

行動にはリスクが伴います。意思決定をするということはしないことを決めることになります。時間含むすべてのリソースは有限です。この一言が勝敗を分かつという場面もあります。本当に。

その中でどんな振る舞いをしていくのかを、日々懸命に考えている私は外れ値のようです。

私が漠然と感じていた生きにくさ

結局のところ、私はおよそ大半の社会人から見ると異常なんでしょう。大学卒業して、なんか生きにくいと思ってました。周りと感覚が合わないと思いました。楽しいことはごくわずかになりました。西洋医学に頼らないと寝られなくなりました。うつも悪化しました。でもそれは私由来なのか。

うちの家訓はどんなことがあっても生き延びろです。これは私が小学生の頃から言い続けられています。田舎暮らしでしたが、意思決定の機会は豊富に与えられました。成功もしましたし失敗もしました。ニュースに対して自分の意見を持つことを教えられました。人の意見を鵜呑みにして従うことがなくなりました。意見を言ってくる人は私の人生の責任を取ってくれるわけではないから。

私は自分の手で退学届を出しましたし、留学しつつ国家総合職も受けました。全てのキャリアを勘案して会計士になることにしました。アクチュアリーも同様です。そして、そこまでの覚悟をして意思決定をしている人はほとんどいないと気付きました。だから私は周りと感覚が合わない。本当の意味で共感ができない。ここに生きにくさがあると一旦結論付けました。

ずっと人並みの幸せが欲しいと願ってきました。なんか中学高校で恋愛して大学ではサークル楽しんでそれなりの企業に勤めて結婚して子どもと楽しく暮らす的な何かです。言語化できないですが、私はこういう幸せを欲しがってきました。

でも無理だと気付きました。人並みな人生送ってないのですから。

私のような人生の楽しいところは、リスクを取り続けて自己責任で駒を進めていくところです。次の一言、行動、何をするかどう動くか、それによって自分の立ち位置とスキルセット、周囲はどう行動して何が変わるか。複雑系の中で思考しながら行動する信長の野望ドラゴンクエストの両立はハマると抜け出せない麻薬のようなものです。精神薬の量は増える一方ですが。

おわりに

同じような生きにくさを感じている同志がいたら嬉しいなあと思って書いてみました。多分このブログの読者ではいないんだろうなあ。