人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

勉強し続ける姿勢

本日もステイホームな皆さまお疲れ様です。在宅勤務も良し悪しありますが、想定より何とかなるなと思い始めております今日この頃です。今回は勉強に焦点を当てて考えたことを記します。

奇しくもこのブログは、というか私の人生は、米国交換留学、国家総合職、公認会計士試験、アクチュアリー試験、そしてIELTS及び英国MBAとなんだか試験系の内容が多くなってしまいました。当初予定ではそんなことになるとは思いもしませんでしたが、人生万事塞翁が馬ということで、その時々において最善手だと思えることを選択していったらこうなりました。

社会人が勉強する意義

継続的反復的な勉強

r-siesta823.hatenablog.com

以前こんな記事を書きましたが、正直公認会計士試験に受かったところで(修了考査があることはいったん置きますが)、業務に必要な勉強を除けば何とか食べてはいけるストーリーを描くことはできます。そんな人は監査法人にたくさんいるわけで、だからこそ上記の記事のようなことになるわけです。

しかし、この世の中の変化のスピードは年々早くなっています。VUCA(Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を並べた用語)という言葉ですらやや古くなっておりますが、まあコロナウィルスの流行からここまでを考えても、このように世の中が変動すると読み切っていた人はそう多くはないでしょう。著名な投資家であるウォーレン・バフェットですら、航空業界株でかなりの損失を出しました。

www.nikkei.com

まあ投資理論を勉強しているとここで損切り判断できる彼はすげえなと思うのですが、そしてもちろん緻密なポートフォリオを組んでいると考えられるため見た目よりダメージは少ないはずですが、それでもここまで飛行機が飛ばなくなる事象は想定が難しかったと考えます。

こうした環境において社会人が勉強する意義はどこにあるかと言えば、世の中についていくためということが浮かびます。AIの台頭とかそういうのもありますが、とにかくReplacementのスピードが激しい中で私たちの知識は急速に陳腐化します。

例えば我々のような士業は、基本的には法律の保護と知識の非対称性でご飯を食べています。会計士しか監査が許されていないからこそ競争から守られ、また会計士が会計に詳しいからこそクライアントは非監査業務を依頼するわけです。

しかし監査基準にしろ会計基準にしろ、既に私たちの受けた試験と内容は変更されています。例えば下記のようなKAM(監査上の主要な検討事項:Key Audit Matters)は試験範囲になっていませんでした。

jicpa.or.jp

こうした変化に適応できない会計士は要らないんです。なぜなら若くて最新の知識を持った新人が毎年1000人単位で誕生するからです。だからこそ士業はずっと勉強が必要なんです。

士業だと分かりやすいですが、このような現象は各業界で起きているはずです。テクノロジーの導入、古い慣習の撤廃、それこそ在宅勤務で一気に浸透したオンライン会議、そんな変化が世の中で腐るほど起きています。

期限と範囲の定めのない学習

上記のような環境において、社会人でもそれなりに勉強が必要ということをお分かりいただけたかと思います。しかしながら、学生時代の勉強と大きく違う点、それは期限と範囲がないということです。

学生時代の試験は例えば期末試験がいついつにあって範囲はここからここまで、という形でテスト日程と範囲が明確だったと思います。しかし社会人の上記のような勉強に期限はありません。また範囲もありません。各人が必要な知識を必要な期日でcatch upすることが求められます。それを決めるのは自分自身の判断となるため、学生時代より非常に主体的な姿勢が求められます。

世の中の変化に気づかずにいると、あっという間にゆでガエルという可能性すらあります。そもそも何を勉強すればいいのか、またそれはいつまでにやればいいのか、そういった今まで他者から与えられてきたものを自発的に見つけて学習するにはある程度の経験値が必要です。やったことがある人の方が少ないと思います。

世間一般の社会人はTOEICなどで英語学習している人が多くいるかと思います。特段何も思いませんが、これは勉強としては楽な部類に入ります。試験対策方法も確立されていますし試験日程も確定しています。したがって学生時代を思い出せばできます。問題はそうではないジャンルの学習です。そもそも何から始めれば良いのか、時間をかけて役に立つものなのか、その辺りから探り始めて長ければ10年スパンで時間を投入する学習を行っている社会人はどの程度いるのでしょうか。

個人的にはTOEICの意味は履歴書がきれいになることくらいしかないと思ってますが、今は本筋から外れるので置いておきます。要するに試験のような締め切りも範囲もない勉強が必要になってきている時代になってきているのに、それに対して受け身でいるのは危険ではないかという話です。

歳を取るということ

で、こうした期限も範囲もない勉強をできている人は誰かと申しますと、乳児から幼児の皆さんです。彼らの学習意欲は半端ないです。興味を持ったものへの取りつかれたような食いつきよう、あれは我々のような大人には難しいものであると思います。

一般的に年齢が上がっていくと私たちは今までの経験を判断のよりどころにします。近頃の若いもんは~というセリフが代表的ですね。自分の経験の外にあるものについて理解を放棄したからこそこういうセリフが出てきます。

こうなるとどうなるかというと、いわゆる使えないおっさんおばさんになります。近頃の若いもんは彼ら彼女らに対して表面的には愛想良く対応しつつ、内側では軽蔑します。学習しようとする姿勢がないということは俯瞰するとよくわかってしまいます。私の周りにも少なからずいます。えてしてそういう人はそこそこ偉い人なので、主体的に気づかない限り周りは教えてくれません。

私は、この自分の経験や価値観を絶対視して硬直的になってしまった人を、本当の意味で歳を取った人だと思っています。60になっても70になっても柔軟で若い人から学ぼうとする人は私の中では若い人だと思っています。

若年層がするべきこと

"若い人"でいるためにどうしたらいいのか、それは常に経験ゼロのことを学習することだと私は考えています。

例えば同年代の人間より会計についてはそこそこ詳しいです。しかし、ブロックチェーンについてはそれほど詳しくありません。私は趣味で筋トレなどしていますが、健康的な食事について詳しくないです。もっと身近な例で言うと、髪質に合ったケアの方法や美容師さんの方が詳しいですし、最近のアイドルの隆盛については私の友人の方が詳しいです。こうした周囲の状況について関心を持っていること、それがもたらす影響について思考を巡らせることで激しい変化にもある程度ついていける素地ができるのではないかと思っています。

それを実現するために、分からないことや知らないことについてどれだけ寛容になれるか、興味を持てるか、そしてそれを詳しい方から学べるかが重要だと思ってます。また私は一年ごとに着実に歳を重ねていくため、学習の先生は相対的に若い方が増えていくわけで、ここでどれだけ自分の陳腐化した経験を捨て去って教えを乞うことができるかが明暗を分けます。

私の経験

ここまで長々と一般論を書いてきましたが、私の経験談を書いて終わりにしたいと思います。2つありまして、1つは上記おっさん化していると実感したこと。もう1つはおっさん化しないように実践していることです。

おっさん化を実感した瞬間

上述した通り、私は英語というものと半ば10年ほど戦い続けています。大学受験英語から始まり、TOEFL、留学、ビジネス英会話、IELTS等々、ここまで苦しんでいる人もそうそういないかと思っています。

はっきり言って私は英語が苦手です。大学受験の東大模試の英語が17点だったことは10年前くらいですが明確に覚えてますし、初めてセンター試験の問題を解いたときは86点しか取れませんでした。しかし、その後の努力で何とか英語で留学できることになり、海外でインターンして全てAを取って帰国し、そしてビジネスでも英語をある程度使えたという経験をしてしまいました。

先日某英会話学校のカウンセラーと面談をしたのですが、そちらの英会話学校さんはかなり文法の正確性等に力を入れているところでして、曰く貴方の英会話力は文法がなっていないから基礎からやり直せとのことでした。その指摘はごもっともで、私はそれなりに意思疎通に困らない英語をそれなりに流暢に話せるものの、文法に関してはなおざりにしてきた側面がありました。

そこで私が感じたのが苛立ちでした。今までの英語への努力、そして経験を否定された気がしたからです。そうはいってもできているではないか。直観的にそう思いました。しかしこれが経験から判断してしまうおっさん化の兆候だったとすぐに気づきました。私の英語力をもう一段階上げるためには文法力だって必要ですし、何より長年のプロが指摘しているのでそれは事実なのです。IELTSのスコアもそれを如実に表しています。

客観的に見て私はアドバイスを聞いて真摯に勉強する必要があったのです。しかし、すぐに気づいたとはいえ、瞬間的にそれを否定してしまった自分に"そういう種類の"大人になってしまう兆候を感じました。これは良くない、もっと柔軟にならなければならないと再確認したエピソードとなりました。

私のしていること

もっと柔軟に世の中についていく、上記のような価値観を変えていくために私は人から勧められたことや教えてもらったことを一回素直に実践してみるということを行っています。勧められた本はとりあえず一読してみる。勧められた食べ物はとりあえず食べてみる。勧められたアイドルの曲はとりあえず聴いてみる。先入観なしでそれを行うことで、こうも世の中にはいろんな文化があるものだと実感しています。例えば煙草の煙にまみれたライブハウスに行ったこともあります。流れている曲はよくわかりませんでしたが、そういう世界もあるんだと知りました。パチンコも競馬もやりましたし、私の本棚には哲学書から漫画まで多様な種類の本が並んでいます。

さらに表題に戻りまして、私は色々な勉強をしています。ずっと勉強すること、今までの経験を連続的に破壊しながら新たな知識をつけていくこと、これが割とおっさん化を防ぐ術であると思っています。自身の価値観は絶対的ではなく常に相対化されて変化していくもの、自身の経験もその時点でそのリソースで行ってきたことであり絶対視できないことを、新たな勉強をすることで学べます。

まとめ

価値観の硬直は世の中の変化についていけなくなるから新しいことに挑戦してみよう、勉強は手段として有効だよって話でした。勉強は自分の無知と向き合うのでなかなかしんどいですが、そうすることで世の中の変化に向き合う心構えができるのではないでしょうか。