人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

休職日記③

調子が悪くて一日横になってた。前日出かけたり気を張るイベントがあったりすると翌日の体調が崩れる傾向にあるっぽい。

薬飲まないと眠れないんだけど、この薬に生かされている感じって凄いね。合計でたった1gにも満たない睡眠薬精神安定剤やその他もろもろがないと、死へのアクセルを踏みっぱなしになるんだよ。寝られない、食べられない、動けない。緩やかだけど確実に死に向かっていく感じ。今やってるのって程度の差こそあれ延命治療のそれと変わらないところがあると思う。

ほんの数センチまで死ぬことを意識するところに到達したけど、今は多少遠くなった。休職してなかったら多分今頃は過労死か自殺かであの世に逝っていたかもしれない。

休職なんてする気はさらさらなくて、というのも、個人的に男性は稼いでナンボだと思ってるし、キャリアを止めたくもなかったし。ああこれポリコレ引っかかるか。別に他人に押し付けようなんて思ってないし、これ私個人の価値観なんでお気になさらず。なんかこういう話題にかみつく人たちって全方位にかみついてく誹謗中傷スタイル取ってる傾向あるし、議論にならんからあまり好きくない。

休職したのって最終的に彼女が休めって言ってくれたからなんだよな。なんか、ああもう踏ん張らないでいいのか俺はって妙に得心したんだよ。今までの人生って振り返ると他人の人生を生きているなと総括できて。こうするべき、しなければならないって答えが先にあって、後付けでそれっぽい理由をつけて自分を納得させてきた。

たくさん勉強して良い成績を維持して給付で奨学金を取って親孝行する良い子。国を良くしたいと言って官僚を目指す良い子。社会で活躍するために自己成長の意欲を失わず、積極的に手を挙げてフィードバックをもらう良い子。常に部下に気を配り、仕事を適切に管理しつつ、上司の仕事を先回りしてこなしていく良い子。みーんな社会から期待されている自分を演じていただけで、そこに好きとかやりたいとかそういう主体的なものはなかった。いやあったけどあれは認知的不協和を何とかするために自己正当化をしただけだった。まあ、好奇心は強めだから勉強は好きでやっていたって言えるかもしれないけど試験はそうじゃないよね。

彼女に人生やりたいことやればいいって言われて考えて、あー自分の人生を生きてないって思ったね。他の親友――と私は認識しているが相手がそう思っているとは限らない――や家族兄弟より出会って日が浅いはずなのに、その言葉は誰よりも説得力を持って私の認知の歪みを指摘していた。

物心ついた時から社会で役に立つ人になるってマインドを持たされ続けてきて、努力の美徳を説かれてきた人間からすると、正直今の状況って裏切られたって感じ。努力し続けて頑張った結果ぶっ倒れて、その上頑張らなくてもいいんだよって、私のアイデンティティがなくなるくらいのインパクトがある。

割と近い関係の人間に恩知らずのカスがいるんだけど、その日暮らしをしていて貯蓄なんて全くしてない。なのに楽天的――に生きているように見えるだけで実は深刻な悩みを抱えているのかもしれないが私には認知できない――なのは尊敬に値する。少しばかり賢くなった私は、将来の不安でいっぱい。一応食える資格を取ってるのに、将来シンガポール辺りに出稼ぎに行くことになるんじゃないかとか考えてる。

マクロ経済環境とか日本の競争力とかその中での自分の専門性の位置づけだとか、知らんでも良いことを知ってるとシンプルに生きづらくなる。何も知らんで政府に文句言うだけの人間の方が楽に生きてるかもしれない。そういや無産市民とかいうのを世界史で習った気がする。

病気のこと調べてて、診断受けるほどじゃないにしてもASDADHDの気質が少なからずあると思った。こだわり強いし人間関係上手くいかないこと多いし。過集中で時間を忘れることざらだし、To Doリスト使わないとやること忘れるし。こういう特性を持っていながらも社会にある程度適応したから診断がくだらないというか、調べるまでこんなに当てはまりが良いなんて思わなかった。上手く擬態してたんだな私は。