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胸襟を少しだけ開きたい

大学生が考えたことをつらつら書いていくブログ。本日の昼食から留学生活、勉強法から料理まで手広くカバー。

Enjoy thinking!

L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature, mais c'est un roseau pensant.

安全とはわかっていても怖いんだ

「安心」と「安全」。この2つの言葉はよく同時に使われます。私たちは消費者の「安心・安全」に全力で取り組んでいます、というようなキャッチコピーも定番ですね。しかしながらこれらは似て非なるものです。

安心と安全の違いは、その言葉の持つ視点にあります。安心という言葉は非常に主観的です。安心できるかどうかは私または私たちが決めることです。それに対して、安全という言葉は客観的な単語です。分析した結果安全であるとか、1万回の実験に耐えたから安全であるとか、そういった使い方をします。この視点の違いに着目すると色々なことが見えてきます。

もちろん「安全であること」は、私たちが「安心する」確率を引き上げます。しかしそれは確実に保証されません。適切な例えになるかはわかりませんが、飛行機と自動車の例を挙げましょう。飛行機の事故確率は自動車のそれに比べて低いです。したがって、統計的には飛行機の方がよっぽど「安全」な乗り物です。しかし、自動車に「安心」して乗れる人が時たま飛行機に乗ることを「不安」に思うということがあります。客観的な事実が与えられていても、人は最後には主観で判断します。客観的データは参考資料でしかありません。

一度何か問題を起こしてしまうと人々の判断にバイアスがかかります。食品関係の問題を起こしてしまった会社がその信用を取り戻すのが大変になるということもここからきているように思います。客観的には、一度問題を起こしたということでより厳格に品質管理が行われるはずです。したがって、同業他社よりも「安全」な商品が手に入るかもしれない。でも人々は「安心」できない。

というわけで、安心・安全のどちらを主張したいのかによって取る手段は変わってきます。安全を主張したいのであれば客観的なデータを並べていくことで達成できます。しかしそれだけでは安心にはつながりません。客観データに加え、例えば消費者のモニターの意見を取り入れているというような、私たち目線のデータも必要になってくるでしょう。

社会問題としては、東北の野菜に対しての風評被害が挙げられるかと思います。もちろん私たちが客観的なデータをを読み取るリテラシーも必要です。しかし実際にこの種の問題を解決するためには、「安全」であることを主張するのに加え「安心」にさせる情報も盛り込んでいくことが必要かなと思います。