人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

何かが不安

留学生活もあと数日となりまして、最近何かとバタバタした日々が続いております。転出届を出したり、成績証明書を取得したり、他には部屋の片づけをしたりお土産を買ったりなど色々です。

こうしてひとつの生活が終わるにつけ、自分の中で何かもやもやとした不安のようなものを感じています。何が不安なのか自分でもよくわかりません。感覚的には、何か重大な手落ちがあるのではないか、モノに限らず何か忘れていること・やり残したことがあるのではないかといった不安です。家を出た後カギをかけたかどうか不安になるような状態が一番近いかもしれません。

私は非常に悲観的で心配性なので、こうした感覚に見舞われることは少なくありません。しかし今回は不安が非常に大きく、さてどうしたもんかと考えております。もうすでにインターネット契約は解除しているため、特に暇をつぶすこともできません。(この記事も近所のカフェよりお送りしております。)

まあ数日間耐えればよいだけなのですが、それでも少し辛いなあと感じています。こういう不安の原因は何なのでしょうか。そして解消するためにはどうすればよいのでしょうか。留学来てからずっとですが、熟睡できていないのも原因なんですかね。

ともあれ日本に帰国したら色々と肩の荷が下りると思うので、さっさか帰りたいですね。

Transfer service? What do you mean?

はい、くだらない日常第3弾です。正味講義とかがなくなってしまったため、書くこともなくなってきています。国家総合職の対策について書いても良いのですが、少々資料が不足しておりまして、日本に帰国しないと書けないんですよね。参考書の名前とか失念してしまいまして。

さてさて今回も私の英語力がひどいことが明るみになりまして。日本に帰国するということで、郵便局に転居届みたいなものを提出しに行きました。徒歩10分くらいで郵便局に到着し、私の番がきました。担当してくれたのは頭頂が輝く優しそうなおっちゃんでした。

私「I will go back to Japan, so I wanna use the transfer service.」

おっちゃん「...Sorry, please say again?」

私「I want to use the transfer service because I will move out and go back to Japan.」

おっちゃん「...You mean you want us to forward your letter?」

私「...Yes」

転送サービスってtransfer serviceじゃなくてforward serviceって言うんですね。まあ確かに言われてみればその通りなんですが、何故かtransferという単語しか頭に浮かびませんでした。ええ、アメリカに一年弱いたところでこんなもんです。こんなごみのような英語力でも生きていけますし最終的にはコミュニケーションがとれます。

そんなこんなで転送届をもらったのですが、完全に国内用でちょっと困りました。アメリカの住所って基本的にstreetとかavenue, apartment number, city, state, zipなので、日本のそれとは書き方が大きく違うんですね。なので今回は無理矢理日本の住所を書きました。特にzip codeは、アメリカ5桁日本は7桁なので、完全に用紙からはみ出しました。一応その場でチェックしてもらいましたが、きちんと受理されたので大丈夫でしょう。そう信じたいですね。

お酒を飲みながら適当に話すと楽しいよね

前回に引き続いてくだらない日常のお話です。

今日は台湾の友達2人と飯食って飲んできました。私が帰国するということで、仲のいい友人たちはこのようなお別れ会を開いてくれます。ありがたいことです。

基本的にくだらない話をしながらお酒を飲みます。例えばアニメの話とかは鉄板です。私はそんなにアニメを見ないのですが、外国の方はアニメを良くみているようで、Do you know XX ?とよく訊かれます。大体知らないアニメで申し訳なくなります。彼らのほとんどは、日本人であればアニメに詳しいと思っているようです。大体fate艦これについて尋ねられるので、留学する人は見ておくとよいかもしれません。ちなみに私は両方知りません。あとガンダムエヴァンゲリオン辺りも外しませんね。もちろんワンピースなどには負けますが、割とよく知られています。

他の話題といえば英語について。お互いノンネイティブなので、現地の英語事情を話すと割と盛り上がります。日本人の英語力について話すと彼らはぶったまげるので、相当やばいみたいですね。台湾は台湾で、入学するたびにアルファベットから始まるのは何とかなんねえのかだとか、外国人に教わらんと英語ができるようにはならないだとか、結構似たような環境らしいです。まあ話している彼らは非常に流暢に英語を話すので、なかなか面白い構図だなあと思いました。

また日本の観光地についての話もよく出てきます。アジア人にとって日本は地理的に近いため、話題に挙がりやすいのでしょうか。大体東京・京都・北海道辺りの話題が多く出てきます。東京ならともかく、京都や北海道についてはそんなに知識があるわけではないため、回答に窮する質問も多いです。こんな時便利なのがgoogle画像検索。言葉に隔たりがあっても画像に隔たりはないため、上手く使うことで会話を進めることができます。

彼らのうち1人は彼女さんと日本に来るらしいので、日本での再会を確認して別れました。日本に興味を持ってくれるのは嬉しいですね。

BBQの話

少し前に、アメリカには薄切り肉がほとんどないって話をしたような気がします。ではどういう肉が売っているのかといえば、分厚いかたまり肉になります。こういう肉はグリルで調理するので、私は購入する機会も食べる機会もありませんでした。しかし帰国前になってようやく食べるタイミングが訪れました。

今日は知り合いの研究者の家でBBQをしてきました。まず出てきたのがすっごい大きなグリル。日本ではちょっとお目にかかれないです。そして肉やら野菜やらを焼き始めるのですが、けむりがもくもく凄いことに。普通に住宅街でやっているのですが、特に何の問題もないようで。これも日本ではなかなかありえない光景です。大体日本ではBBQといえば河原か大きな公園みたいなところでやりますよね。間違っても住宅街なんかでやったらクレームの嵐でしょう。

そしてお肉やら野菜やらをひたすら食べる食べる。ビールも飲みながら食べる食べる。家の前でやっているため、材料とかは家からすぐに持ち出すことができます。これも家でできる一つの利点ですね。日頃はろくなものを食べてないので、美味しいものが食べられてとても幸せでした。日本でもBBQやりたいなあと思いました。外でご飯を食べるというのはなぜこんなにも心動かされるのでしょうか。普段より美味しく感じますし、わくわくしますよね。これは私が子供だからでしょうか。

ともあれ、日本に帰る前にアメリカ式BBQを体験できてとてもよかったです。

公立小学校の話

情報機器の発達で、多くの友達と簡単に連絡が取れるようになりました。こちらでもSkypeなどを使って友人と話したり、LINEなどを介してメッセージを送ったりしてコミュニケーションを取っています。

数あるSNSの中でも利用者が多いのはFacebookでしょう。実名登録が基本で、現実の友達とネットでも繋がれるシステムは多くの人の登録を促したように思います。世界中の友人の近況を気軽に知れるというのがウケたのでしょうか。

私もFacebookは活用しているのですが、皆さんはFacebookの友達検索を使ったことがあるでしょうか。知り合いかも?というところに、友人でありそうな人たちが出てくるのですが、これがまあ結構な精度で知り合いを言い当ててきます。同じ大学ならともかく、学校名を登録すらしていない小学校の友人まで現れます。そんなこともあり、私はFacebookを介して小学校の友人と連絡を取ることもするようになりました。

実際、私が小学校を卒業するタイミングでは、まだ携帯電話が普及しておらず、個人の連絡先を知ることができませんでした。また私は中学受験をして私立へ入学したため、現在に至るまで小学校の友人とは疎遠になっていました。こうしたSNSで再会する段になって、昨今のIT技術の発達に驚くばかりです。

そんなこんなで、Facebookのタイムラインには小学校の友人の近況も載るようになったのですが、これがまあ他の投稿と一線を画しています。もちろん普通の投稿もいっぱいあるのですが、大学の友人がこのタイミングでは決して報告しないであろう事柄も多くあります。例えば結婚しただとか、子供が生まれただとかそういうライフイベントです。私の地元が少々田舎なことも原因なのでしょうか、こうした人生のイベントはみなさん早く経験する傾向にあるようです。

中学時代からの友達はそのほとんどが大学へ行き、その一部は留学をしたり就職したりみたいな感じのキャリアパスを歩んでいます。そのため、こうした報告は私にとって非常に斬新に映ります。しかし考えてみれば、同世代の大学進学率は50%程度なはずなので、私の中学時代からの友人はサンプルとしてかなり偏っているということになります。ほとんどが大学へ進学してから就職するみたいなコースを歩みますが、そのコースは同世代の半分くらいなんですよね。

それとは対照的に、小学校の友人のキャリアパスは非常に多彩です。成人式の時などでも話を聴きましたが、高卒で働いている人もいれば少年院に入ってた人もいるし、結婚している人もいるし専門学校に通っている人もいました。もちろん大学生をしている人もいるのですが、中学時代からの友人と比べて進路の多様性がありました。

このように公立小学校はある程度社会の縮図なんだろうなあと思います。基本的にエリアだけでどの小学校に行くかが決まるため、様々な立場や考え方の児童が集まります。これは中学受験や高校受験というある種のセレクションを経た後の、均質化された生徒と異なるのではないでしょうか。

自分の所属する世界の普通は実は普通じゃない、そういうことを学ばされます。

試験後にすべきこと

この間の日曜日に国家総合職の一次試験がありました。受験された皆さまは大変にお疲れ様でした。前回試験前にすべきことについて言及しましたが、せっかくなので試験後にすべきことについても書こうと思います。ここで対象としているのは、まだ二次試験などが残っている方々です。

まずすべきこと

簡単です。身体的・精神的疲労を取ることです。公務員試験、特に国家総合職などの難関試験では、試験時間が異常に長いです。午前中4時間・午後3時間半とか正気の沙汰じゃありません。人間の集中力は、諸説ありますが、個人的にせいぜい60~90分が限界だと思います。そんな生き物である人間が、4時間なり3時間半なり、ぶっ続けで集中するとどうなるか。もう疲労困憊です。身体的に貴方の身体は酷使されています。また多くの人にとって人生がかかった勝負なので、精神的な疲労も相当なものでしょう。

もちろん今後の試験を見据えて勉強しなければならないということはよくわかります。しかし、はやる気持ちを抑えてまず疲労の回復を優先した方が今後良いと思います。国家総合職を例に挙げれば、二次試験まで1ヶ月弱、面接も含めたら1ヶ月強の時間を戦わなければなりません。そんな長丁場の戦いを勝ち抜くために、試験後はゆっくり休んで疲労を回復させることを勧めます。

試験結果は忘れよう

国家総合職では一次試験の解答は次の日に発表されます。多くの、というかほとんどすべての受験生は自己採点をして一次試験の出来栄えを測ると思います。ここで受験生は3つのパターンに分かれます。

  1. 高得点をたたき出し一次通過は確定的
  2. 点数がボーダー上でどっちに転んでもおかしくない
  3. ちょっと一次通過は困難かもしれない

まず1に該当する方、おめでとうございます。一次の結果は気にせず二次試験への準備をしましょう。次に3に該当する方で国家総合職を諦めて他にシフトする方、もう受けない試験のことなんてさっさと忘れて他に集中しましょう。

さて、ここまでは良いのですが、問題は2の方と、3のうち諦めずに挑戦する方です。おそらく最も一次試験の結果を引きずってしまうと思います。その気持ちはよくわかります。一次合格発表まで気が気ではないですよね。

しかし、不安にさいなまれながらの勉強は明らかに効率が悪いです。もう終わってしまったことなので、一次試験なんてなかったことにしてしまいましょう。考えた結果何かが変わるならば、大いに考えることをお勧めします。しかし、一次試験の結果がどうであろうと、おそらく受験生は二次試験の勉強をする道を選びます。ならば考えるだけ時間がもったいないです。自分が取れなかったんだから、他の受験生も取れていないと割り切って二次の準備をしましょう。

結局一次の出来栄えがどんな点数だったとしても、国家総合職の合格のためには二次の勉強をするのが最適解になります。そのため、実質的な自己採点の必要性としては、ほかの試験を併願している人が受験を続行するか否かを決める以外にないと思います。そうは言っても自分の点数は気になると思うので、自己採点をすることそれ自体は問題ではありません。良かろうが悪かろうが、3秒で切り替えることが重要です。

余裕があれば業務説明会に参加してみよう

いくつかの官庁では、一次試験後の業務説明会の機会を提供しています。もちろん勉強が優先ですが、試験は長丁場。受験生の中には一次試験でやる気が燃え尽きてしまった方もいるかもしれません。こうした時は業務説明会に参加してみるのも良いかもしれません。試験へのモチベーションを取り戻し、何のために試験を受けているのかを思い出す、そのために志望省庁の話を聴きにいくのは効果的だと思います。

3大試験のうち、国家総合職だけは資格でも何でもありません。司法試験や公認会計士試験は資格として有効です。しかし国家総合職は単なる官庁訪問へのパスポートです。試験に受かることは何かを獲得したことを意味しません。私たちはその先にあるものを目指して勉強をします。業務説明会に行くことで、そうした初心を思い出せると思います。

 

私なりに試験後にすべきことについてまとめました。二次試験などが控えている方はラストスパート頑張ってくださいね。

本の感想『世界で損ばかりしている日本人』

ブログの説明で書籍の紹介をするよとか言っておいて、一冊も紹介してなかったので、記事を書きたいと思います。

今回は『世界で損ばかりしている日本人』という本を紹介したいと思います。

世界で損ばかりしている日本人 (ディスカヴァー携書)

世界で損ばかりしている日本人 (ディスカヴァー携書)

 

 私はアメリカで日本人会の皆さんと仲良くしてもらっているのですが、その中の一人が貸してくれました。実はちょっと前から気になっていた本だったので、渡りに船という感じでありがたく読みました。

この本には、日本人が国際機関でいかに損をしているかということをエピソードを交えながら書かれています。例えば日本人の美徳である謙遜が面接で不採用になる原因であるということや、英語ができないことで他の実績も軽く評価されてしまうというようなことです。

私はただ単に学部に交換留学しているだけですが、この本に書かれていることは実感を以て納得することができました。こちらでは英語が流暢でないというだけで舐められます。ディスカッションでは話すことが第一で、内容の良しあしは二の次です。そういう雰囲気は確かに大学に存在していて、英語が流暢だとはとても言えない私は、確かに損をしていると言えるでしょう。

実際こちらではディスカッションの前には綿密に準備をしたり、プレゼン前には10回以上練習をしたりして臨み、瞬発力のなさを準備でカバーしてきました。しかし、本でも言及されていますが、こうした努力はノンネイティブにしか求められていません。それでもやはり、英語ができないと舐められるしこちらの主張も通りません。いくら不平等だからと言っても、それが現実です。

本には、日本の英語教育や議論をする力の養成についても記述がありました。私個人としては幼少から両親とディスカッションばかりしてきたので「日本語では」そんなに苦ではありませんが、確かに日本人の多くは議論が下手なような気もします。世界でハッタリかませるとか相手を説得するのが教育目標だというのはどうかと思いますが、そういう力を養成することはこれからますます重要になってくるような気がします。

まあ欧米が幅を利かせている以上、その土俵に乗るしかないのが現状ですね。英語が苦手な身としては、英語の代わりに日本語が世界公用語になればいいのになとは思いますが、それも無理な話です。TOEFLなどテストスコアでも残念な数字しか出ていないので、英語頑張らなくてはなと改めて思いました。