人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

公立小学校の話

情報機器の発達で、多くの友達と簡単に連絡が取れるようになりました。こちらでもSkypeなどを使って友人と話したり、LINEなどを介してメッセージを送ったりしてコミュニケーションを取っています。

数あるSNSの中でも利用者が多いのはFacebookでしょう。実名登録が基本で、現実の友達とネットでも繋がれるシステムは多くの人の登録を促したように思います。世界中の友人の近況を気軽に知れるというのがウケたのでしょうか。

私もFacebookは活用しているのですが、皆さんはFacebookの友達検索を使ったことがあるでしょうか。知り合いかも?というところに、友人でありそうな人たちが出てくるのですが、これがまあ結構な精度で知り合いを言い当ててきます。同じ大学ならともかく、学校名を登録すらしていない小学校の友人まで現れます。そんなこともあり、私はFacebookを介して小学校の友人と連絡を取ることもするようになりました。

実際、私が小学校を卒業するタイミングでは、まだ携帯電話が普及しておらず、個人の連絡先を知ることができませんでした。また私は中学受験をして私立へ入学したため、現在に至るまで小学校の友人とは疎遠になっていました。こうしたSNSで再会する段になって、昨今のIT技術の発達に驚くばかりです。

そんなこんなで、Facebookのタイムラインには小学校の友人の近況も載るようになったのですが、これがまあ他の投稿と一線を画しています。もちろん普通の投稿もいっぱいあるのですが、大学の友人がこのタイミングでは決して報告しないであろう事柄も多くあります。例えば結婚しただとか、子供が生まれただとかそういうライフイベントです。私の地元が少々田舎なことも原因なのでしょうか、こうした人生のイベントはみなさん早く経験する傾向にあるようです。

中学時代からの友達はそのほとんどが大学へ行き、その一部は留学をしたり就職したりみたいな感じのキャリアパスを歩んでいます。そのため、こうした報告は私にとって非常に斬新に映ります。しかし考えてみれば、同世代の大学進学率は50%程度なはずなので、私の中学時代からの友人はサンプルとしてかなり偏っているということになります。ほとんどが大学へ進学してから就職するみたいなコースを歩みますが、そのコースは同世代の半分くらいなんですよね。

それとは対照的に、小学校の友人のキャリアパスは非常に多彩です。成人式の時などでも話を聴きましたが、高卒で働いている人もいれば少年院に入ってた人もいるし、結婚している人もいるし専門学校に通っている人もいました。もちろん大学生をしている人もいるのですが、中学時代からの友人と比べて進路の多様性がありました。

このように公立小学校はある程度社会の縮図なんだろうなあと思います。基本的にエリアだけでどの小学校に行くかが決まるため、様々な立場や考え方の児童が集まります。これは中学受験や高校受験というある種のセレクションを経た後の、均質化された生徒と異なるのではないでしょうか。

自分の所属する世界の普通は実は普通じゃない、そういうことを学ばされます。