人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

悪いことが起きたら落ち込まないといけない

先日受けたTOEFLの結果が返却されました。

割とできた気がしてわくわくしてたのですが、ふたを開けてみると大惨事でした。まあ前回よりわずかに伸びてはいますが、アメリカまで来て1年弱生活してるのにこれかよって思いはぬぐいきれませんね。これで海外大学院への進学は現実味がなくなりました。

さて、こうして悪い結果が出てしまったときや悲しいことが起きたとき、人は半ば義務的に落ち込まなければいけないような気がします。というのも、悪いことが起きた時にケロっとしていると、本気でそれを受け止めているのか! というお叱りが飛んでくる場合があるからです。特に災害が起きた後の活動の自粛は、もちろん本当の意味での自粛もあるとは思いますが、一部には不謹慎だと言われないためのポーズの要素もあると思います。

今回に関しても、TOEFLの結果が悪かったことはもう終わったことなので、落ち込んでいてもしょうがないです。もちろん反省は次の成功のために必要ですが、うだうだ悩んでいても時間のムダです。しかし何か自分の中で、へらへらしていたらそれと真摯に向き合えていないのではないかという考えが湧いてきます。なんででしょうか。もともとそんなに楽観的な人間でもないのですが、そういう風に思うように脳がプログラミングされているんじゃないかとも思ってしまいます。社会的には、人が亡くなった後はある期間喪に服すという習慣も、そういうプログラミングの結果なのかもしれません。

だからなんやねんと思った貴方、多分それは正しい感想です。私もそう思っています。でも基本的には早く立ち直った方が有益なのに、そういう風にできない脳や精神の働きがあるとするなら、それって面白いよねっていうお話でした。

大学生が直面するダブルスタンダード

今回はラフな口調で書くことにするね。

よく「日本の大学生は勉強しない」とか、「世界の大学生はもっと勉強している」とか言うじゃん。まあそれは確かにそうなのかもしれないし、じゃあもっと勉強しようっていう方向になるのはわかる。でも一方で、就職活動では「勉強以外に頑張ったものは何ですか」とか訊かれるわけ。え? 大学って勉強するところじゃないの? と思うわけだ。

彼らから言わせると、勉強しているのは前提でほかに何をしたかだと言うんだけどさ、その前提ラインが低すぎるわけよ。今日日単位取るなんて、勉強しなくてもいけるわけ。ここでの勉強の定義は世界の大学生の平均くらいにしておこうか。だから、勉強しろとか言われても、大多数の最終的なゴールである就職では、勉強したかどうかなんて求められないわけ。しかも、たくさん勉強に取り組んだっていったら「え? ガリ勉なの?」ときたもんだ。これ、俺の先輩の実話で、言った人事は某有名企業の人ね。こんな環境で勉強なんかするかって話になる。

それでも大学生の本分である勉強と、諸活動を両立しようとする極めて真面目な学生もたくさんいるわけ。でも24時間、人間に与えられた時間は決まっている。そうするとバイトとかしている余裕はなくなっていくよね。でも日本の奨学金制度は優れているとは言えないから、生活するため学費を捻出するためにお金を稼がないといけない人も大勢いる。やる気があるのを前提として、結局ある程度裕福な人しか様々な活動を両立するなんて厳しいよね。

というわけで、日本の大学生が勉強しないというのは、最適な戦略を選んだ結果とも言えるんだろう。これがアメリカだと面白くて、Grade Point Averageと呼ばれる平均成績を凄く見られる。俺がこっちでインターン取れたのも、このGPAが4.0だったからだと思ってる。こんな風に、学業成績が就職活動に反映されるなら学生も勉強するインセンティブが生まれるんじゃないかな。

ということは前々から述べられてて斬新さの欠片もないから、書いてても考えてても面白くない。反論だって予想できる。GPAは各大学によって捉え方が違うだとかなんだとか。

じゃあもう日本の大学生が世界のエリートを目指すのはやめようぜって思う。大学進学率が50%超えてきてるんだから、全員が全員、世界のエリートに比肩する能力があるわけないじゃん。現実的に。殊にこれからは少子高齢化で分母も小さくなるんだから、大学生=優秀なんて時代じゃないんだよ。そういうエリートさんの育成はいくつかのトップ大学に任せて、それ以外の学生は適当に4年間最後の青春を楽しんだ方がいいんじゃないかな。どうせほとんどの人は就職しても専門知識を用いることなんてないんだから、勉強してもしなくてもさして変わらないでしょ。

 

 

これに反発する方がいらっしゃいましたら、是非学業で鍛えられる力を重視して、よく勉強している大学生を再評価してあげてください。昨今勉強は一人で黙々とするものではなくなってきています。というよりむしろ、大学では友人と書物を研鑽したり自分の考えを表明したりと、コミュニケーション能力を鍛える場面も多いです。頑張って勉強中心の生活を送ってきた学生が面接で酷いことを言われる社会を、私は認めたくないです。

期末考査終了

ついにこのセメスターの期末考査もすべて終了し、もう大学で行うことはなくなりました。ここまで長い道のりでした。ようやく帰国準備に入ることができます。

ところで、こちらの大学では期末考査が1科目3時間です。日本にいたころは90分が基本だったので、3時間のテストは長いのなんの。内容も3時間にふさわしい重さです。

今日は2科目受けてきたのですが、11:30-14:30と15:00-18:00だったので、おちおち昼ご飯も食べていられませんでした。結局ちょっとしたお菓子を持ってきていたので、それを食べて昼ご飯としました。

特に論述onlyのテスト形式だと、手がすごく痛くなります。筆圧が強めなので、今はキーボードを叩くだけでも手が痛いです。去年の今頃も国家総合職の試験勉強で同じようなことになっていました。

これから成績発表までしばしの休憩となります。少しずつ帰国のための準備を進めていきたいです。

人生って生まれる前に99%決まってる

人生はよく船に例えられます。社会という荒波を越え自分で舵を取って生きていく、そういう人生は主体的だと言えるでしょう。

しかし、無数の大きな流れのうち、どの流れを行くのかは既に決められています。もちろんどの支流を行くのかは決められますが、大きな流れについて私たちに選択の余地はありません。また船の材質はどうでしょうか。補修はできるかもしれませんが、根本的な部分を変えることはできません。

私たちは自分の人生を自分で切り開いて生きているように見えて、その実選択の幅は狭いんじゃないかなと思います。まずどこに生まれるか、これは人生を大きく左右します。特に大きな争いもない平和な国に生まれるか、紛争の絶えない国に生まれるか、それは人生の経過に大きく関わるでしょう。また、裕福な家庭に生まれるのか、貧困に苦しむ家庭に生まれるのか、それだけでも今後の人生に大きな差が出てきます。

それ以外にも、身体の強さや障害の有無などなど、自分ではどうすることもできない要素が人生には溢れています。例えば私は目が先天的に良くないため、パイロットになる夢を諦めざるを得ませんでした。自分で決められるものなんて、特に若いころは、1%くらいしかないのではないでしょうか。

しかし私は、この変えられる1%に大きな意味を見出します。完全に決まっていないので、工夫の余地はあるはずです。チンパンジーと人間のDNAは1%しか違わないらしいですが、両者には大きな差があります。ほとんどの環境が既に決定されていることを容認した上でできることをしていく姿勢が、自分の決まりきった人生を変える力になるんじゃないかなあと思います。

君ならできて当然だよね

君なら〇〇は普通にできるよねって言われたことはありますか。例えば成績の良い人がテストで良い点を取ってもまあ普通に感じます。その人からすれば普通だ(と周りが思っている)ことをやっている分には、特に驚きはありません。

しかし、日頃していないことをすると、その行動は驚きを以て迎えられます。日頃テストなんかどうでも良いと思っているような学生がたまにテストで良い点を取ると皆から称賛されることもありますね。

私はかつて、できて当然だと言われるのが嫌でした。なんかそこにかけた自分の努力を無視されているような気がしていたのです。天才だ、みたいな台詞も同じように感じていました。ここに至るまでの過程を無視して、結果だけを見て判断されるのは嫌だったのです。しかし、前にも書いた通り、周囲の人間が見ることができるのは結果という点のみで、そこに至る過程は見えません。それはわかっていたのですが、何となく腑に落ちないなあと思っていました。

ですが、数ヶ月前にある考え方を耳にしました。できて当然だという評価は自分に最大の評価をしているということである、という意見です。確かにそうだなあと思いました。その人のことを高く評価しているから、その人が出す結果にも驚かないわけで、それはとても誇らしいことなんだと感じました。

昔とは違い、最近はそういった類の言葉を言われても、特に気にすることはなくなりました。そこには人の目を気にしなくなったというのも含まれてはいますが、何事も受け取り方なんだなあと思うんです。

 

講義とインターンシップが終わりました

こんにちは。日本では一足早く暖かいというか暑い日々が続いているようですね。こちらは今週を以て、講義履修とインターンシップが終わりました。

講義の話

感想

悲しいことに、まあ特に話すことはないんですね。大体近況報告の記事で書いてしまったので、そちらを読んで頂ければと思います。思ったことは、海外といえどもさして変わることもないんだなあということです。恐れていたよりは内容も理解できたので、その点で苦労することはありませんでした。自分の力が海外でも通用するという経験は、自分の中で自信になりました。

得られたこと

月並みですが、手を挙げて発言する積極性でしょうか。海外の奴らはマジでうるさいです。ほんとに。どうでもいいようなことをダラダラ言っていることも多いです。そんな中で、いかに講義を自分の時間にしていくかということは大事になるのかなと思いました。特にディスカッションとか、黙ってると何も始まらないというか、実利的には成績が大変なことになります。発言してナンボなところがあるので、日本人はなかなか苦手としている分野だと思います。

そんな中で私は、下手くそな英語でも発言していく度胸を鍛えることができました。は?って顔されることもありますし同じ内容を3回言った挙句にわからないと言われたこともあります。でもそんなの無視して発言していく図太さみたいなのは身につきました。元々日本人の英語はさして期待されてないので、そういう意味では気楽にいけます。

インターンシップの話

感想

研究所でのインターンだったので、割とアカデミックな感じのインターンでした。働き方もアメリカ式というか、仕事が週に1回assignされて、それをまとめてミーティングでプレゼンという感じで進んでいきました。仕事がon timeで終わればそれで良いという感じで、そんなに細かく指示されることもありませんでした。その点のみ考えればアメリカでの仕事は性に合っているなあと思いました。

得られたこと

リサーチの仕事がほとんどだったので、excelやRのスキルは上げざるを得ませんでした。週一のプレゼンでは、Ph.D.持ちの研究者から結構な追及を受けるため、毎週毎週緊張感を持って臨んでいました。そのため、必然的にプレゼンスキルも上がりました。OJTみたいな形で、結構訓練されたなあという感想です。

また、今回のインターンでは単位が修得できます。その関係で上司からのevaluationが送られてきたのですが、要約すると「仕事はとてもできるし、分析力も学部生とは思えないけど、英語の流暢さには改善する必要あり」ということでした。ここでも英語について指摘を受けるくらいに私の英語力は低いんです。もっと頑張らなければなあと。

期末考査

おそらくこの記事が投稿されているころには期末考査に向けての勉強の追い込みをしているはずです。最後の期末になるため、悔いのないように頑張りたいですね。

イヤホンの話

私は電車に乗る時など、よく音楽を聴いています。日本でも聴いていましたが、アメリカでは電波がないのでスマホをいじれず、また日本の本もないため、いよいよ音楽ばかり聴いています。

今のイヤホンは留学前から使っているお気に入りのやつなのですが、最近ちょっと調子が悪いなあと思っていました。というのも、左右の音の大きさが違って聴こえるんです。特にボーカル辺りの音域が弱いのか、左耳からはあまり歌詞が入ってこないように感じました。

一応私は3つの可能性を考えました。1つ目、私の左耳がおかしくなった。2つ目、音楽を聴くのに使っているiPodがおかしくなった、3つ目、イヤホンがおかしくなった。

要するに、音楽を聴きとるまでのどこかの部分がおかしくなったから、こうした現象が起きる訳です。1つ1つ検証してみました。

まず耳がおかしくなったかどうかを確かめるために、イヤホンを左右さかさまにしてつけてみました。なるほど右側の音が良く聞こえなくなりました。したがって、私の耳は至って正常で、ほかの部分がおかしいということがわかりました。

次に音楽プレーヤーの調子を疑いまして、飛行機用に持ってきていたノイズキャンセリングイヤホンを使ってみました。普通に聞こえます。どうやらイヤホン自体に問題があるようです。

さてイヤホンのどこに問題があるのかと考えたときに、耳に入れるシリコンが随分と汚れていることに気付きました。取り外して、洗面台できれいにして、取り付けて聞いてみると、なんと音がもとに戻ったではありませんか。

要するに、今回の不調はシリコンパッドにあったわけです。

音楽プレーヤー→イヤホンのケーブル→シリコンパッド→耳→認識

という音楽の届く過程において、悪かったのはシリコンパッドだったということになります。まさかそこに原因があるとは思わず、音の回復に驚きました。

というどうでもいい話でした。音の調子が悪くなったら、買い替える前にイヤホンパッドも確認してみましょう。