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胸襟を少しだけ開きたい

大学生が考えたことをつらつら書いていくブログ。本日の昼食から留学生活、勉強法から料理まで手広くカバー。

Enjoy thinking!

L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature, mais c'est un roseau pensant.

意識高い系と意識高いの違いについて思ったこと

考えたこと

意識高い系という言葉が使われ出して随分と経ちます。意識高いという言葉からの派生で、基本的にはネガティブな意味合いで用いられることが多いそうです。今回は「意識高い系」と「意識高い」の違いについて考えたいなと思います。

「意識高い」とは

派生元の意識高いとは何が違うのでしょうか。意識高いという言葉は割とプラスの意味で使われているようで、高い目標を掲げて努力する姿や、理想の自分に近づけるようにストイックな生活を送る姿を形容するようです。こうして考えると意識高い人は称賛されるべき人だと思います。

じゃあ「意識高い系」ってどういう意味か

この言葉、大体私が大学に入学した時辺りから使われ出したような気がします。意識高い系の人には、過剰な自己アピールやカタカナ語を好んで使うというような特徴があるでしょうか。他にも忙しい・寝てない報告や人脈の自慢などもありそうです。このように、頑張ってますアピールがちょっと痛々しい人を揶揄した言葉みたいです。

また、〇〇系という言葉であることから、「意識高い」を模倣しているというニュアンスもありそうです。努力しているアピールだけで結果が伴っていない、頑張っている自分に酔っている、すなわち結果が出ていないのにそれを過剰にアピールすることに使われていそうです。実際は最近多くの人が使っているため、意味の拡散が見られます。

私の思う違い

完全に個人的な意見ですが、意識高い人と意識高い系の人の違いは、その人の好感度に依存すると思っています。やっていることや活動それ自身はその人の好感度を決める一つの指標ではありますが、行動それ自体を抜きとって意識高いか意識高い系かは決まらないのではないと考えます。

どういうことかというと、嫌いな人間が何をやってもその姿はうざったく見えてしまうものです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということわざもありますが、その人がどんなに良い(良いという言葉が適切かはわかりませんが)行動をしていても、その人が嫌いならばあら捜しをしてしまうでしょう。反対に普段からとても尊敬できる人がいわゆる意識高い系のアピールをしても、とても頑張っているんだ、凄いとなるはずです。

「何を」やったか、というよりむしろ、「誰が」やったか、そちらの方がこの2つの言葉を使い分ける要素として大きいのではないでしょうか。うざい人が何をしてもまあうざいし、尊敬する先輩が何をしても凄いと思うのが人間の心理だと思います。

これに従うと、意識高い系と言われたくないのであれば、まずは周囲の人間の好感度を上げることが必要だということになります。また、頑張ってますアピールは一定数から嫌われそうな行為なので、始めのうちは静かにしておいた方が良さそうですね。