人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

ChatGPTと創造性の話

ChatGPTの開発が進んでいるようです。

www.businessinsider.jp

皆さんChatGPTを使ったことありますか。あれめちゃくちゃ便利です。会話形式で回答してくれるのと、文脈を理解して応答してくれるので、ちょっと今までのAIとは一線を画す性能だなと感じています。最近は絵を描くAIや小説のプロットや素案を出すAIもあったりするので、今まで人間に向いているとされてきたタスクがAIの侵出を許すようになってきたといった状況でしょうか。

一昔前はオズボーン論文などでAIによって失われる仕事一覧などと騒がれていました(私の理解では論文自体がやや恣意的と考えています)が、ここ10年でも少し世界観が変わってきました。人間が固有に持っている――と個人的には認識している――創造性や感受性の領域についてもAIが対応し始めている(特に、機能をよく知らない一般の人々が使えるレベルになってきた)からです。

私は仕事柄データサイエンティストをやっていたりするので、絵を自動生成するAIの仕組みをある程度のレベルで理解しています。経験が少ないためプログラミングを満足にできないことから、自身で開発となるとやや苦しいですが、背景にある数学的処理等は説明されれば分かります。最近のAIの凄いところは、その背景を分からない人でもとりあえず使えるレベルにUI/UXが整っている部分です。

これは、TVのリモコンを押すと画面が切り替わることを知らなくても、押せばチャンネルを変えられるという事象と同等です。キーボードを叩くと文字が表示される仕組みを知らなくても、PCを使えるのと同じです。そういうエリアにAIが入ってきたということは、いよいよ私たちの生活のお供としてAIが認知されていると言っても過言ではないでしょう。

翻って、人間には何かを創り出す能力が大なり小なりあります。今こうして文字を起こしているのも一つの創作活動と言えなくもないでしょう。そして人間は創作物に触れて――観て・読んで・触って・聞いてなどを統括して――心を揺り動かすことがあります。一般的には感動などと呼ばれる感情です。

こうした創作ー感動は現代に至るまで人間の専売特許とされてきました。時代とともにその技術や方法論は進化をしてきましたが、その利用主体は人間であり、人間がその技術をどのように扱うかといった文脈で研究が進んだと思われます(元々理系で芸術系の知識に乏しいと言い訳しておきます)。

一方、AIの台頭はその主体が必ずしも人間でなくともよいということを示唆しています。こうしたブログの記事もこちらがある程度の方向性を示したら書いてくれそうです。そうしてできた、人間が作ったのかAIが作ったのか定かではない創作物を、人間が触れて感動したとすれば、それはもう創作者が人間である必要がないという世界になります。

ところで、高等学校の物理学においては、あらゆるものの動きはニュートン運動方程式によって規定され、インプットデータが適切であればその物体の動きは完全に予測できるとされます。これを後述する複雑系に対して単純系と呼称します。一方複雑系は、非線形性を持ち部分の総和が全体とならない、といった特徴を持ちます。この辺りに触れ始めると量子力学多世界解釈などもトピックに挙がり、本ブログで取り扱うにはあまりにも専門性が高いため、これ以上は踏み入りません。

閑話休題。私たちの脳で起きているニューロンによる情報のやり取りが複雑系に該当し、つまり、感動という感情は複雑系の世界観で解釈されることになります。単純系と違い予測が難しいからこそ、人間の経験であったり表現方法であったり、そういった創作の試行錯誤が感動に結びついていくという形だったのだろうと思います。CMプランナーだとかシナリオライターだとか、そういった感動を経験的に作り出せる仕事も世の中にたくさんあります。

しかし、創作→感動の矢印は原因→結果で無数の分岐があるものの、結果から見た事実は確定が可能です。この創作物は多くの高評価を得た、という事実は容易に観測できます。そしてAIはこうした結果を教師付き学習できるので、「仕組みはよく分からないけどこれは人間を喜ばせる可能性が高そうだな」という知識を得ることが可能です。そしてAIが人間に絶対的に有利な領域である物量のドカドカ生産でフィードバックを返し、さらなる進化を遂げていく、そうすると創作物は人間の試行錯誤を離れ、感動は自動で作れる時代が到来するかもしれません(もちろんVRやARのような新しい様式の感動はこれからも作られ続けるんでしょうが)。そういった過渡期において、人間の創造性は再定義が迫られるのかもしれないですね。