人間をやめた生活をした末路の話
どーもこんにちは。最近寒くなりましたね。
さてアクチュアリー試験も目前に迫ってまいりましたが、わたくしそんなこと言っていられない体調に追い込まれております。
表題の件になりますが、今年はかねてより無茶な生活を送ってまいりました。
どんな生活を送っていたのか
このブログでもたびたび書いていますが、私は不安定でボラティリティの大きいモチベーションに頼った計画は破綻するという信条があるため、徹底的に生活を仕組化、機械化しました。何かをするという決断を完全に計画にアウトソーシングし、決断力や意志力をすべて計画の遂行に回す、そういうプレーイングです。
現状私はざっくり3つのことに取り組んでおりまして。1つ目が上の記事にもある通り海外MBAのための英語力向上、2つ目もMBAが絡みますが、部署異動したこともあり業務への主体的な取り組みと信頼の獲得、3つ目がアクチュアリー試験と会計士関連の試験ものです。これら全てを同時並行でこなすために、割と無茶苦茶なスケジュールを設定しました。
まず朝は朝食後7時から30分海外ニュースをリスニングし、7時半から9時までアク試数学の勉強。9時から19時くらいまでに何とか仕事を片付け、19時から夕食し英会話30分の後20分から30分筋トレ、シャワー浴びたのちアク試生保の勉強、23時から英単語600単語回してぶっ倒れるように就寝。休日のうち1日はアク試受ける同期と終日勉強会、残った1日で仕事の予習、読書、英語の復習、たまった家事をこなすという形です。食事メニューも完全に固定し、即ち買い物内容も同じになるわけですが、とにかく仕組化仕組化でまるでロボットのような生活を送っていました。この生活を始めたのは2月下旬ころでしょうか。
繁忙期到来
4月中旬から繁忙期が始まったので、上記のスケジュールのうち平日の定時後の勉強分を仕事に充て始めました。思えばこの辺りから体調がバグり始めていたのですが、仕事の忙しさにかまけてあまり考えておりませんでした。この頃の自覚症状としては、夜中に目が覚めるようになりました。上記計画では7時間の睡眠時間を確保しているので、しっかり寝ていれば問題ないと考えておりましたが、7時間のうちまともに寝られていたのは4時間くらいであとはうつらうつらという状況。
今年はコロナの影響で繁忙期も延びに延び、結局6月末くらいまで繁忙期だったのですが、後半戦は上司に相談して中途覚醒後からもう働き出してスケジュールを上に繰り上げて乗り切りました。海外とのやり取りもあったので、そこは問題なく仕事を回せました。
部署異動
さて繁忙期も終わり、少しだけ休暇を取り部署が変わりました。MBAを狙うとなると、早く昇進してお給料を良くしてマネジメント経験が欲しいということで、上司には昇進できるだけの仕事をくれと言いました。その結果、仕事の心理的負荷は地獄のように重くなります。とにかく成果を出さなければならない。しかも私以外は皆役付きのため相談相手もいないし隙も見せられない。仕事の負担がおかしくなっても私の計画は着々と遂行されていきます。まあこの辺りから加速度的に体調が狂い始めた気がします。中途覚醒の回数は2回や3回がざらになり、疲労が全く抜けない。意欲のようなものが喪失し始め、休日の勉強会がない日は布団から出ることすら厳しくなりました。
平日は在宅勤務で一緒に働いている人もクライアントも会ったことすらない人だらけ。雑談なんてものもなくなり、部屋で孤独に勉強と仕事をこなす日々。現在の部屋は平日昼間に滞在することを想定して選んでいないので労働環境もあまりよくありません。
お盆休暇
さすがに当初計画の履行が困難になりつつあることを自覚し始めた私、お盆に土日挟んで10日連続休暇を取ってその間は英会話以外の計画を破棄しました。実家に帰ってのんびり過ごしました。10日間は非常にリラックスした日々を過ごし、お、これは回復したかなと思ったのですが。
どんどん悪化していく体調
お盆明け、普段の計画を遂行していましたが、体調は悪化の一途をたどります。中途覚醒の数は4回なんてことになり、薬の量は増える一方。しかしながら計画は仕組化されているため、私は心身の悲鳴を黙殺してやるべきことを黙々と遂行していきました。その結果として。
自律神経失調症になりました
なった、というかそういう診断が確定したというか、そんなところです。精神科には結構前からお世話になっていましたので、それほど環境的に変化したわけではないのですが、症状の悪化が著しく、ついに診断が下ったという感じです。
皆さんは自律神経失調症ってご存じでしょうか。有名な方ですと、西武の多和田選手が罹患しているとのニュースを耳にしたことがあります。まあ交感神経と副交感神経のバランスが狂ってしまい心身に様々な不調が現れるという感じです。詳しくはお医者さんの記事を読んでみてね。
私の場合は交感神経がフル活動して負荷をかけすぎていた結果こうなったらしいですね。主治医からのメッセージや自分の心身の声はそれを予言していたようですが、立てた計画以外に道がないと思っていた私は一線を越えたというわけです。
で、まあ診断が出てしまったので仕事関係の人たちと話をして業務負荷の調整が行われ、即ち昇進がなくなり、アク試は合格予定科目数が当初予定よりかなり減少、英語の学習も英会話以外は完全にストップと相成ったわけです。計画が破綻した瞬間でした。
2+2=5
話は変わりますが、見出しの計算式。オーウェルの『1984年』という小説に出てくる概念ですが、皆さんはご存じでしょうか。もしくは旧ソビエト連邦のポスターの標語にもなっているのでそちらでご存じの方もいらっしゃると思います。
後者の意味するところは、5ヵ年計画の早期達成を煽るものですが、私の計画はまさにそれを地で行くものでした。で、それをできないのは自分に責がある、即ち自分が軟弱だからという整理をしていました。基本的に前例がないことは不可能を意味しない、を自身のポリシーにしているため、できることを一つ一つ積み上げたら万事できるはずだと大真面目に思っています。ここで計画の実現可能性を考えなかったのかといえば、それは考えました。がしかし、これが2+2=5になるところでして、期限から逆算する以上は計画はマーケットイン的な発想になります。自社リソースは仕組化と機械化と生産性の向上で何とかする前提で構築された中期経営計画の完成です。
この中期経営計画、ビジョンも戦略も戦術も方法論も綺麗に整っています。これらを上長に説明して合意を得られる程度には筋が通っていましたし、今でも間違っていないと理解しています。唯一の欠点は人間の心身が保てないほどに厳しすぎるというところだけでした。
人間は機械にはなれないらしい
この2020年、私は人間をやめようとしました。将来ビジョンも明確、日々の生活は完全に目標に向けて設計され、これらをこなせば目標が達成できるはずでした。
しかしながら、私は人間でした。残念ながら。主治医見解を伺うと、常人は心身が壊れる前に感情に流されて計画が終わるらしいのですが、私は恐ろしく左脳優位で理性が全てを制御しているという構図らしいです。それはそうだなと思う点が複数ありました。繁忙期中盤から心身がおかしいと思っていたので、戻るとしたらその辺りだったのでしょう。
もちろんコロナ、部署異動、その他もろもろ偶発的なストレッサーも多くあったのですが、基本的に人間の耐えられる限界を軽く超えた生活を送っていたようです。休職のようなドラスティックな治療はMBA的にも普通の生活的にも厳しいので、計画の緩和で対処していますが、元の状態に戻るまでにはかなりの時間を要しそうな見込みです。修了考査等もあるため、生活を完全に治療に充てるわけにもいきません。まあまあ何とか付き合いつつ、それでも目標設定は変えずに期間延長しながらやる感じですね。
この将来見通し、最初は誰も理解してくれませんし、「今」は生じていません。しかし、私は5年から8年後辺りに「くる」と思っていますし、カンの良い人と理詰めで話すと賛同してくれるので間違っていないはずです。その「くる」時に必要なスキルポートフォリオを組んでいるのですが、まず行動すら理解されないので、傍から見るとひとり相撲で体調崩したバカのように映っているでしょう。
気づいたこと
「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ」byトーマス・エジソン
私にとってこの挑戦的な試みは失敗だったのでしょうか。いえ、失敗ではありません。確かに中経は狂いましたし、方々に広げた風呂敷を畳むのに苦労はしましたが、とりあえず誰にも迷惑をかけていません。また、いくつか気づいたことがあります。
- 私は機械にはなれない
- 心身の声に耳を傾ける必要がある
- 失った健康を取り戻すのは難しい
1項目、当たり前だと皆さん思いますよね。しかし、私にとっては発見です。ビジョン、目標、戦略と戦術の立案、日々への落とし込みと仕組化さえあれば基本的に今まで突破できなかった壁はありませんでした。一例を挙げると、国家総合職も4か月で受かりましたし留学先ではオールAで帰国しました。就活で内定が取れないとかはありますが、その辺りは運も絡んでくるので、基本運が絡まないレベルまで落とし込み得るものは自身の努力でどうとでもできると考えていました。しかしそうではなかったいう発見がありました。要約すると、計画の実現可能性は表面的な次元ではなく、即ち量的な話だけでなく、質的な部分も踏まえなければならないということです。
2項目も上記に関連しますが、心身のシグナルを無視してはならないということです。休みたい、苦しい、死にたい、やってなんの意味があるんだ、この辺りの言葉を私は怠惰な人間の戯言だと切り捨ててきました。実際そういう思考に流されると目標というのは達成できないと今でも思っていますが、それにしても限度というものがあるというのが今回の発見です。実施主体が無理だと言うからにはそれが甘えかどうかを判断する必要があるということです。
3項目もまた私にとっては発見です。よくレジリエンスなんて言いますが、破裂した風船を膨らませるのは非常に労力がかかります。また、心の病は治療法も確立されていませんし外部から見たら甘えだと思われる節も多分にあるわけでして。身体的な怪我なら可視的なので、また絶対安静という風に言われても納得できるじゃないですか。じゃあ自律神経失調症なので勉強するなと言われて、自他ともに骨折やらと同等の目線で評価されるかというとそうではないと思います。でも実際なってみると、本当に意欲なんて湧きませんしまともに寝ることもできません。集中力が落ちているため、気を付けていても些細な失敗をしてしまうこともあります。日常生活を送るのがギリギリという感覚はなってみないとわかりませんね。早くパフォーマンスを戻したいと思い焦る自分がいる一方で、何をやっても回復が上手くいかず悩む自分もいる、目標の修正を最小限にしたい自分もいるでなかなか難しいなと思うところです。
おわりに
以上、人間やめた生活をしていたら計画が完全に破綻して、結果として精神疾患となり生命保険に入れなくなったという話をだらだらとさせていただきました。みんなもギリギリのラインは見極めて「幸せ」を目指してくださいね。私は「幸せ」が分かりませんし、多分暫く分からないんだと思います。
上で掲げているビジョンも所詮は生きているのであればこういった生存戦略が必要だという話であって、前提としている「生きている」理由も私には思いつきません。これが異常だと皆さんが思うならまあ異常なんでしょうが、私の中ではかなり強固に理論武装した真の命題なので、なかなか認知の歪みを修正するのは難しいですね。というか、ここまで追い込まれるまで機械化可能ということなのかもしれませんが。みんなは精神科にお世話になることなく、日々を楽しく生きてくださいね。5,000文字になってしまったので今日はこの辺で失礼します。アク試まで数週間。