人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

心はいつだって少年のままでいたい

イギリスの哲学者ジョン・ロックは、生まれたばかりの我々の心は白紙の状態 (tabula rasa)で生得的な観念はないと主張しました。この考え方はデカルトなどの学派である大陸合理論に対してイギリス経験論と呼ばれています。社会科学を専攻している人は、社会契約説の代表的な人物としてロックを御存知かもしれません。王権神授説を否定し、政府の権力行使は国民の信託に裏付けられており、国民には抵抗権を認めるという思想でした。

さて小難しい話はこの辺にしておきましょう。私たちは生きていく上で本当に多くのことを経験します。色々なことを知っていくうちに、物事を色々な視点で認識することができるようになります。どこかの記事でも書いたかもしれませんが、多角的に物事を見られるってとても大事なことだと思ってます。また、知識や経験に基づいて行動することは失敗を繰り返さないためにも必要ですね。

しかし、時として知識や経験は、人々の思考や行動を阻害するものにもなります。人間は楽をしたがりますので、今までの経験に似たようなことが起きたり、典型的と言われることに直面すると、深く考えることなく判断を下します。これは行動経済学の分野ではヒューリスティックと呼ばれています。確かにこの力ってすごく大事で、時間を効率よく使うことができます。ですが、これを適用しすぎると現実が見えなくなってしまうこともあります。

知識や経験がつくと、私たちはゼロからものを考えるのが難しくなります。文化的な常識、知識人の意見、自分の経験など判断に使える、いや使わさせられる情報は多いです。こうした情報によって本来は見通しが良くなるはずが、逆に本質が見えなくなってしまうことってあると思うんです。そんな時に私は、そういう追加的な情報を一切振り払って、ゼロから物事を考えることに憧れます。もう二十数年も生きてきているので、完全にゼロから考えることなんてできません。そもそもゼロから考えようとする方針ですら今までの経験に基づいているのですから。

時たま小さい子の意見に真剣のような鋭さを感じることがあります。素朴ながらも何にも囚われていない考えは、大量の知識と経験で武装した大人たちの鎧の隙間に突き刺さるのでしょう。理詰めで考えつつ直感で生きていきたいです。