人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

20年間英語に苦戦しているという話(2/2)

需要がないと思うけど後半を書くよ。前半はこちら。

r-siesta823.hatenablog.com

大学生の頃

さて大学生になったら突然英語ができるようになりましただったら、私は私塾でも開くかYouTuberでもやってます。私が大学入って初めて受けたテストはTOEICでした。

TOEIC(大1)490/990

これです。ほんとに東大受けたのか疑問に思う点数ですね。

不幸なことに幸運なことに、私は大学入学時に、英語を中心に放課後に集中学習を行う選抜プログラムに選ばれました。このプログラム何が凄いって、入学時に英検1級だとかTOEIC満点だとかわけわからん人たちが同期だったということです。

私ですか? 面接でいかに私に可能性があるかを上手く盛りました。そしたら採用されました。このスキルは今に至るまでずっと活用されることになります。

厳しい大学生活

まあこのプログラム、英語の講義は全て英語で行われます。当初私は宿題の内容すら聞き取れませんでした。また課題の量もハードという単語だけでは言い表せないほどに多く、4単位の講義で毎日5時間くらい課題をやっていました。簡単には下記のようなことを通常の講義に加えて延々と課されていました。当時はガチで頭おかしいと思いました。

  • 毎日リスニング2時間
  • 指定された英単語の勉強
  • ショートライティング数本
  • 構内で行われる英会話セッションへの参加
  • 英語プレゼンテーションのスライド作成および練習

そんなこんなで生活の半分くらい英語してたんじゃないかと思うレベルで、私は何とか生きていきました。さすがにここまでぶち込まれると、テストの成績も僅かながら上昇していきます。しかし、留学に必要なテストであるTOEFL-iBTは難しい難しい。大学1年の10月辺りにそれなりに対策して臨んだ結果は下記になります。

TOEFL-iBT(1回目)57/120

いやあ厳しい。留学には基本80点程度が必要です。私はそれからさらに戦いを継続していきます。TOEFLは受けるのに2万以上かかるので、気軽に受けられません。でも回数受けないと慣れない側面もあるので、時間もお金も相当費やして挑み続けた結果、下記のように成績が少しずつ上がっていきました。

TOEFL-iBT(2回目・大1の2月くらい)65/120

TOEFL-iBT(3回目・大2の6月くらい)74/120

TOEFL-iBT(4回目・大2の8月くらい)76/120 

まだ80点に届きません。交換留学に必要なスコアは秋までに提出しないといけなかったので、いよいよ追い込まれて受けた最後のテスト。

TOEFL-iBT(5回目・大2の10月)84/120

いやあギリギリセーフでしたね。大学の成績はトップだったので、英語のスコアさえ超えておけば校内面接もちょろかったです。留学も決まって、上記プログラムの英語単位16単位を取り切った頃になると、無対策で受けたTOEICも下記くらいは取れるようになりました。

TOEIC(大2)805/990

留学時代

さて交換留学でのエピソードはこのブログ読んでくださればお分かりになりますが、成績もトップでインターンもしました。これもひとえに2年間の地獄プログラムを生き延びたからでしょう。なお留学中にTOEFLを受けましたが、大して点は上がりませんでした。

TOEFL-iBT(6回目・大4の5月くらい)86/120 

r-siesta823.hatenablog.com

そんなこんなで留学も終わり、いっちょ前に英語でコミュニケーションできる雰囲気だけ醸すことに成功しました。

今日この頃

社会人になりまして、なんか知らないんですが英語を使う仕事をちょいちょいやっております。世の中の大半のことはある程度の根性と気合で何とかなりますね。こないだ先輩にそれ君の年次でやるような仕事じゃねえ言われたので、多分適材適所なんでしょうねえ。

さて現在はMBA受けたいなあと思い、IELTSを受けています。

r-siesta823.hatenablog.com

おわりに

センター英語86点からでも、仕事で何とか英語を使うくらいなら達成できます。みんなも負けずに頑張ろうな。スコアが話すんじゃない。人が話すんだ。

しかしながら現状の目標はIELTS7.5でありまして。正気ですかと思いながら死ぬ気で勉強しております。永久に勉強してんなお前。

20年間英語に苦戦しているという話(1/2)

2021年始まった早々に緊急事態宣言で、やや気が滅入ってきました。皆さまお変わりないでしょうか。

今回の記事はいつにもましてどうでもいい話ですが、今年はちょっと気合を入れて英語学習に取り組んでおります。

r-siesta823.hatenablog.com

私本気で英語不得意でして、天文学的な時間を費やして何とか仕事で英語を使えるレベルまで上げたのですが、その遍歴を記します。というのも、どーも周囲の人たちは私が英語得意だと勘違いしている節がありまして。別にこの記事がそういう方々に読まれるわけではないのですが、今年頑張ろうの意味も込めて今までの苦戦ぶりを思い出しておきたいと思います。割と具体的な描写ができるのも、それだけ苦戦を強いられているからです。英語なんて日本人にとってはデバフでしかないんだよ。

r-siesta823.hatenablog.com

中学生の頃

まあ大体中学生くらいから英語をやり始めるのが通常だった私たちの世代。今は小学校でもそれなりに授業があると伺いますが、私の田舎環境では英語は中学からが基本でした。

当時の英語の先生がまあ今考えるとあり得ないほどポンコツで、「とにかくノートは綺麗に!うっとりするほどカラフルに書きましょう!」とのたまっていたのを未だに覚えています。私が英語できないのはこいつの影響もあると割と真面目に思っています。

さて、中学1年生にして既に私は英語が不得意でした。まず過去形過去分詞形がedじゃないやつたち(なんて言うんでしたっけこういう動詞)50単語くらいでしたか、それが覚えられない。教科書を暗唱するとかいうこれまたよくわからん課題がありましたが、一向に覚えられない。覚えられないと平常点とかいうテスト以外の点数が取れないし、何なら中間期末テストもできるわけがない。そんなこんなでどうしようもない状況でした。

中学2年生の頃は諸事情ありまともに授業に出ていなかったのも相まって、英語なんかわかんねえしそれでええんやボケカスくらいに思ってました。高校受験があったら死んでいましたが、内進で高校へ進んだのでセーフ。ちなみに英語以外の成績は授業サボってた分も勉強はしていたので割と上位でした。

高校生の頃

大学受験もあるのでさすがに心を入れ替えた私。授業を真面目に聞くようになりますが、何しろ基礎ができていないので聞いても分からない。相変わらず教科書の暗唱はできないし文法も現在完了形辺りすらわからない。週1回くらいネイティブの講師が授業するようなクラスがありましたが、なんもわからない無為な50分を過ごしていました。

さて、この辺りから模試だとか試験だとか始まるのですが、英語の偏差値は45くらい。なまじ他の教科が良かったので、平均だと嵩増しされてあまり危機感を覚えませんでした。国語とか70あったので見た目は良いんですよね。

んで、そのままずるずると高2冬を迎えます。今は共通テストでしたっけ、昔のセンター試験本番の問題を当日夜に受験できるサービスを東進だかどっかがやっていたので受けに行きました。

センター英語(高2):86/200

この時点で私は無謀にも東京大学というところを志望していたわけなんですが、これは何も擁護できない。東大受験生にとってセンターとは最低85%は取るものであり、英語がこの点数な時点で他が満点でもきつい。というか2次の英語が無理。これ1年前なんですよね。衝撃的過ぎて10年前でも覚えてますよ私。

これまた諸事情で予備校に通えなかった私、英語の学習法を練りました。とりあえず文法が弱いということで、Z会の英文法語法のトレーニングだったか、その一番簡単な赤いやつを買いました。その結果、なんと私は関係代名詞すらよく理解していませんでした。逆によく86点も取れたよ。

基礎編を終えて何となく高2レベルの文法力を手に入れた私。次に基礎英文問題精講という緑色の本をやり始めます。これまた未だに覚えていますが、この本の例文を春休み中延々と音読して文法や語法を確認していました。次に同じシリーズの基礎英語長文問題精講(確か水色だった)という本を解き、何となくの基礎固めができました。

なお単語帳はシステム英単語のBasicからシステム英単語無印まで雰囲気で回しました。解体英熟語とかも買ってたのですが、そこまで手が回らないというかそれだけできたら上記のような悲惨な点数は取っていません。

さて夏休みです。8月に東大即応オープンという東大受験生が受ける模試があったのですが、その点数がまた悲惨だったのでよく覚えています。

東大英語(模試):17/120

なんかもう適当にやってるんじゃないかと誤解するレベル。これでも大真面目です。国語や理科は合格レベルだったのにこいつのせいでもうどうしようもないですよ。さて予備校に通えない私は何をしたかと申しますと、赤本の東大英語25ヵ年を全てやるという強行策にでます。出る問題だけわかりゃええんやと半ばやけになっていたような気がします。

幸い12月の段階で、一芸入試で某私大へ合格していたので、私は東大一本で準備を進めていきました。そして迎えたセンター本番。

センター英語(高3):156/200

まあまあ上がりました。他の教科はよくできたので、確か全体88%くらいだった気がします。東大は数学が死んだので落ちたのですが、英語の点数だけ供養しておきます。

東大英語(本番):54/120

死ぬほど東大英語やったので、身体が東大式になったようである程度戦えていますね。そんなわけでスタートラインからどうしようもないということが明白にわかりましたね。

書いててかったるくなったんで次回大学編へ続きます。

2020年の総括と2021年の方向性

皆様、明けましておめでとうございます。

コロナ禍で激動の2020年が終わり、2021年が始まりました。現在は実家でのんびりしております。

2020年の総括

まあ公私ともにコロナだったり偶発的なストレッサーで振り回された1年でした。特に精神的に苦しめられたのが印象的です。
r-siesta823.hatenablog.com

また、2020年に挑戦していた様々なことについては本当に何も成果が出ず、ここまで釣果に乏しい1年も珍しいなあと感じる次第。まあ一定の区切りまで進めたのはリングフィットアドベンチャーくらいでしょうか。

f:id:r-siesta823:20210102185520j:plain

一方で今までの私の負荷のかけ方であるとか予定の強度がおおよそ3か月から4か月程度を想定した中期計画であることが判明したりだとか、また心が壊れていく過程の感覚など、学びの多い1年だったと思っています。

2021年の計画

これを踏まえて2021年は何をしていこうかと考えまして、一旦下記のことに取り組みたいなと思っています。

  1. 英語の学習
  2. 修了考査の学習
  3. 体調の回復
  4. 趣味の開拓
  5. アクチュアリー試験の準備
英語の学習

そろそろIELTSやらGMATやらに本腰を入れて取り組む時期に来ているため、テスト英語の対策をしっかりやっていきたいです。2020年は英会話やりつつ少しニュース英語をリスニングしただけで終わってしまったので、真面目に試験に取り組んでいきます。3か月に一回くらいのペースで模擬試験等を受けて進捗確認をする感じで、できれば今年中に7.5を取得できればなと考えています。IELTSのスコアの有効期限的に今年に取れるとかなり楽になり、またGMATの対策も考えると、優先度は高になりそうです。

修了考査の学習

残念ながら12月に修了考査を受けねばならないので、その準備をしていきます。既に講座に申し込んでいるので、今から少しずつ準備して無事受かりたいところです。試験自体も最近は難しくなっているようなので、やや時間かけないとリスク高そうだなと感じてます。したがいまして、英語と並んで優先度は高になるかなといった次第。

体調の回復

2020年は体調不良に悩まされた一年でしたので、少しパフォーマンス戻していきたいですね。運動は引き続き実施し、計画に意図的な休みを組み込むことで、夏頃には体調きっちり戻す感じで調整したいなと思ってます。やっぱり優先度は高めというか、他の活動の基盤になる形ですかね。

趣味の開拓

体調の回復にも絡みますが、ストレスを軽減するためにも新たな趣味を開拓したいと考えています。2020年はオンライン将棋をやり始めましたが、本年はモニターを見ず机に向かわずにできるアクティブな趣味を開拓していきたいです。利き手の問題もありますが、ゴルフでもやってみようかな。

アクチュアリー試験の準備

今年も引き続き試験勉強と洒落こみたいところですが、残念ながら今年の優先度は下がりそうです。というのも、上記勉強で正直限界かなという感覚を漠然と持っております。今年受けた生保と数学を少し固めて、まあ受けるだけ受けようかというのが今年の温度感かなあと。英語の優先度が高いため、英語の進捗が良ければ本腰入れるという形になりそうです。

まとめ

2021年は昨年の体調を考慮して、英語と修了考査の勉強に取り組みつつ、空いた時間で健康維持の諸活動を行っていき、余裕があればアクチュアリー試験もやる感じになりそうです。私はセルフで自分をぶっ壊せることを念頭に、あまり負荷かけずにやるべきことをやっていければと思います。今年もともどもに頑張りましょう。

才能とはつまり、ROAである

こんにちは。最近寒すぎて、部屋ではエアコンがフル稼働しております。リモートワークもいい加減板についてきましたが、電気代がバカにならない感じになりそうで来月の請求が怖い私です。師走に突入しましたが、相変わらず体調が改善しないので文章でも書くこととします。

さて、才能というものについては古今東西様々な方々が様々な議論をしております。例えば先天的なものなのか環境によるものなのか、そういった研究は昔から行われていますし私も見聞きしたことがあります。こうした研究それ自体は学術的に価値がありますし、社会政策の立案に大いに貢献すると思われます。しかし、個人的にはあまりミクロ的な部分において示唆は感じません(先天的に決まるとして、貴方の意思決定に何か影響があるのでしょうか)。

そうは言っても、話題としては扱いやすいというか、皆さん持論がある領域のようです。ブログでも結果と過程について書いてみた記事が未だに多くアクセスがあるようで、皆さん関心度高いんだなあと思う次第です。

r-siesta823.hatenablog.com

 というわけで、さっそく表題にいきたいと思います。

ROAとは

いきなりの会計用語で恐縮ですが、ROAというのはReturn On Assetsの略です。総資産利益率とも呼ばれ、会社の総資産を利用してどれだけの利益を計上できたかを示す数値になります。大体当期純利益を総資産で除してパーセント表記で示すことが多いです。会計に詳しい人は釈迦に説法で申し訳ありませんが、同業種におけるROAの使い方としては、分析対象の会社がどの程度効率的に資本を使っているかを当該指標を用いて比較できます。即ち、ROAが高いということは資産を効率よく用いて利益を上げられていることになります。話がそれますが、ROAに限らずB/SとP/Lを使う指標は異業種間ではあまり役に立ちません。ビジネスの形態が異なるので、単純比較するのに適さないからです(例えば鉄道業界は固定資産を大量に保有していますが、コンサル業界では固定資産をそれほど持ってないと考えると分かりやすいかと)。

才能と努力の関係性

本題に入る前に才能について考えます。私たちが才能と呼んでいる無形の何かというものは、果たして何なのでしょうか。

一般に才能というのは表出された結果について語られることが多いです。努力と二項対立が生じる理由はおそらくこの部分にあるのではないかと思います。基本的に、結果というものに結びつく要素は努力と才能に二分され、努力は我々が後天的に積み上げられるもの、才能は先天的もしくはコントロール不能な領域にある何かという対立軸です。

今回はその二項対立を壊してみたいと思います。つまり努力と才能を同列に語らず、個別に考えてみようという話です。

努力は資産を積み上げる一連の過程

まず努力というものを考えます。結果を出すために必要だという文脈で使用されますが、もう少し精緻に考えると努力は行動を伴う何かを指すことが暗黙の前提かと思われます。例えば英語の学習のために毎日英会話30分、みたいなものです。

こうした行動の結果、私たちの中には英会話の時間数という資産が形成されると考えられるのではないでしょうか。まあなんでも良いのですが、基本的に努力はやればやっただけ何かしら私たちに蓄積されるものだと思います。当努力が結果に結びつくか否かは努力の方向性の正否や運等も絡んできますが基本的にやったことは残ります。

f:id:r-siesta823:20201206220936j:plain

例えばこんな感じです。こちらは10月下旬くらいの写真ですが、いつのまにやら3000分も英会話していたようです。

しかしながら、この数値は特段結果を保証するものではありません。英会話3000分したということが英語を流暢に話せるであるとかテストのSpeakingで良い成績を取れるとかそういうことを担保しないのは自明かと思います。

ここで会計的な発想を取り入れます。努力というのはB/S(貸借対照表)にヒットする概念であるという仮定を置きます。何でも良いですが、努力した分は確実に何かしら資産として私たちに蓄積され、B/S計上されていきます。

才能は蓄積された資産と結果を結びつける係数

ところで、この場合における結果は会計的にはP/Lのセグメント純利益と考えることができます。表出されたもので可視的なので、こちらも特段の不整合なく取り入れることが可能かと思います。あえて「セグメント」とつけたのは、努力によって蓄積される資産にはジャンル分けがあるからです。例えば会計の勉強していて英語ができるようになるのはおかしな話なので、一応セグメント利益としています。

ここでROAという発想が出てきます。即ち、努力によって蓄積された資産がどの程度結果に反映されているかという効果測定が可能になり、その指標がROAというわけです。個人的な見解ですが、この部分において私が仮定したROAが才能だと考えます。結果それ自体は目に見えるのですが、それに至るまで積み上げた資産は基本的に目に見えません。目に見えたとしても、上記のようにそれ自体が何か結果を担保するものではありません(蓋然性は高まるかもしれませんが)。一方、才能と呼んでいる何かも無形の概念であり、それも目には見えません。一般に才能は結果の表出に関わってくるという認識は自明かと思いますので、結果を出したことと才能があることに何かしらの関係式が立つことになります。

畢竟するに、努力によって蓄積された資産をどれだけ結果に変換できたかという係数が才能なのではないかという仮説です。この場合において才能はROAと言えるでしょう。

そもそも次元が違うのではないか

才能と努力は並行に語られることが多い中で、上記のように捉えると次元の違う話になるのではないかという話が今回の言いたかったことです。

私たちが観測できるのは結果であり、それ以上でもそれ以下でもありません。特に仕事になると努力の有無は二の次どころかなんの価値もない場合があります。あくまで結果のみが評価にさらされることになります。その結果というものは単純化すると二つの変数によって構成され、結果=努力の蓄積×才能という式が会計的には資産とROAで表現できるなあという話でした。

何を言いたいのかというと、才能の有無は結果に明確に反映されますが、結果自体は努力の蓄積で一定コントロール可能なのではないかということです。私事で恐縮ですが、私は語学の才能は他人と比較して本当に無いと言い切れます。ここで大多数の人間が「でも英語話せてるではないか」、「留学もできるくらい話せるではないか」とおっしゃるのですが、上記議論を見ればかみ合っていない部分が明白です。結果的にやれ留学だやれ英会話だという話にはなっていますが、そもそも私が議題にしているのは係数であって結果ではないのです。私がかけてきた英語への時間はそれはもう莫大なものでして、それだけやればこれくらいはできるよねと思っています(別に人に言うことでもないので何も言いませんが)。

同様に日本語も元来的には得意ではありません。今も行われているかは定かではないですが、私が小学生の頃は国語のテストで聞き取りがありました。日本語の会話だったかを聴いて解く問題なのですが、本当に苦手で毎回良くない点を取っていました。文章も下手でしたし、小学生の宿題レベルでも困っていた記憶があります。一方で小学生の時からそれはもう読書に読書を重ね、ディベートやらもかじり、議論や自分の意見の表明の練習を大量にしてきました。お陰で日本語が下手だった時代は家族しか知らない状況まで持っていけましたが、おそらくこうした蓄積なしに現状の日本語能力はなかったかと思います。

最後に示唆を出せればと思いますが、保守的にROAが不変と置いたとしても、努力の蓄積で一定レベルまでは到達できるというのが結論です。一万時間の法則というのはこうした仮定が暗に置かれているはずです。まあ一定レベルを超えると才能のある人たちが死ぬ気で努力する世界になるので、そこまで到達してしまうと意味なくなりますがね。

おわりに

才能と努力について会計的にアプローチしてみました。相変わらずあまり意味のある文章ではないですが、結果を見て才能と努力を同列に語るのは止めましょうやという話です。年齢が若いうちはインプット時間が制限されているので結果=才能や環境という議論が成立しますが、社会人にもなると今までやってきたことが相当程度高く積みあがっているので、一概に結果だけを見て軽々しく才能がどうたらこうたら言えないですねってことです。私の人生で唯一才能を感じたことはソフトボールで初挑戦したウィンドミル投法がやたら上手く、体育の時にずっとピッチャーやっていたというエピソードのみです。ほんとに唯一それだけです。何の意味もねえ。みんなも圧倒的努力で結果を出しつつまだ見ぬ才能の種を見つけてみよう。

人間をやめた生活をした末路の話

どーもこんにちは。最近寒くなりましたね。

さてアクチュアリー試験も目前に迫ってまいりましたが、わたくしそんなこと言っていられない体調に追い込まれております。

表題の件になりますが、今年はかねてより無茶な生活を送ってまいりました。

r-siesta823.hatenablog.com

どんな生活を送っていたのか

このブログでもたびたび書いていますが、私は不安定でボラティリティの大きいモチベーションに頼った計画は破綻するという信条があるため、徹底的に生活を仕組化、機械化しました。何かをするという決断を完全に計画にアウトソーシングし、決断力や意志力をすべて計画の遂行に回す、そういうプレーイングです。

現状私はざっくり3つのことに取り組んでおりまして。1つ目が上の記事にもある通り海外MBAのための英語力向上、2つ目もMBAが絡みますが、部署異動したこともあり業務への主体的な取り組みと信頼の獲得、3つ目がアクチュアリー試験と会計士関連の試験ものです。これら全てを同時並行でこなすために、割と無茶苦茶なスケジュールを設定しました。

まず朝は朝食後7時から30分海外ニュースをリスニングし、7時半から9時までアク試数学の勉強。9時から19時くらいまでに何とか仕事を片付け、19時から夕食し英会話30分の後20分から30分筋トレ、シャワー浴びたのちアク試生保の勉強、23時から英単語600単語回してぶっ倒れるように就寝。休日のうち1日はアク試受ける同期と終日勉強会、残った1日で仕事の予習、読書、英語の復習、たまった家事をこなすという形です。食事メニューも完全に固定し、即ち買い物内容も同じになるわけですが、とにかく仕組化仕組化でまるでロボットのような生活を送っていました。この生活を始めたのは2月下旬ころでしょうか。

繁忙期到来

4月中旬から繁忙期が始まったので、上記のスケジュールのうち平日の定時後の勉強分を仕事に充て始めました。思えばこの辺りから体調がバグり始めていたのですが、仕事の忙しさにかまけてあまり考えておりませんでした。この頃の自覚症状としては、夜中に目が覚めるようになりました。上記計画では7時間の睡眠時間を確保しているので、しっかり寝ていれば問題ないと考えておりましたが、7時間のうちまともに寝られていたのは4時間くらいであとはうつらうつらという状況。

今年はコロナの影響で繁忙期も延びに延び、結局6月末くらいまで繁忙期だったのですが、後半戦は上司に相談して中途覚醒後からもう働き出してスケジュールを上に繰り上げて乗り切りました。海外とのやり取りもあったので、そこは問題なく仕事を回せました。

部署異動

さて繁忙期も終わり、少しだけ休暇を取り部署が変わりました。MBAを狙うとなると、早く昇進してお給料を良くしてマネジメント経験が欲しいということで、上司には昇進できるだけの仕事をくれと言いました。その結果、仕事の心理的負荷は地獄のように重くなります。とにかく成果を出さなければならない。しかも私以外は皆役付きのため相談相手もいないし隙も見せられない。仕事の負担がおかしくなっても私の計画は着々と遂行されていきます。まあこの辺りから加速度的に体調が狂い始めた気がします。中途覚醒の回数は2回や3回がざらになり、疲労が全く抜けない。意欲のようなものが喪失し始め、休日の勉強会がない日は布団から出ることすら厳しくなりました。

平日は在宅勤務で一緒に働いている人もクライアントも会ったことすらない人だらけ。雑談なんてものもなくなり、部屋で孤独に勉強と仕事をこなす日々。現在の部屋は平日昼間に滞在することを想定して選んでいないので労働環境もあまりよくありません。

お盆休暇

さすがに当初計画の履行が困難になりつつあることを自覚し始めた私、お盆に土日挟んで10日連続休暇を取ってその間は英会話以外の計画を破棄しました。実家に帰ってのんびり過ごしました。10日間は非常にリラックスした日々を過ごし、お、これは回復したかなと思ったのですが。

どんどん悪化していく体調

お盆明け、普段の計画を遂行していましたが、体調は悪化の一途をたどります。中途覚醒の数は4回なんてことになり、薬の量は増える一方。しかしながら計画は仕組化されているため、私は心身の悲鳴を黙殺してやるべきことを黙々と遂行していきました。その結果として。

自律神経失調症になりました

なった、というかそういう診断が確定したというか、そんなところです。精神科には結構前からお世話になっていましたので、それほど環境的に変化したわけではないのですが、症状の悪化が著しく、ついに診断が下ったという感じです。

皆さんは自律神経失調症ってご存じでしょうか。有名な方ですと、西武の多和田選手が罹患しているとのニュースを耳にしたことがあります。まあ交感神経と副交感神経のバランスが狂ってしまい心身に様々な不調が現れるという感じです。詳しくはお医者さんの記事を読んでみてね。

私の場合は交感神経がフル活動して負荷をかけすぎていた結果こうなったらしいですね。主治医からのメッセージや自分の心身の声はそれを予言していたようですが、立てた計画以外に道がないと思っていた私は一線を越えたというわけです。

で、まあ診断が出てしまったので仕事関係の人たちと話をして業務負荷の調整が行われ、即ち昇進がなくなり、アク試は合格予定科目数が当初予定よりかなり減少、英語の学習も英会話以外は完全にストップと相成ったわけです。計画が破綻した瞬間でした。

2+2=5

話は変わりますが、見出しの計算式。オーウェルの『1984年』という小説に出てくる概念ですが、皆さんはご存じでしょうか。もしくは旧ソビエト連邦のポスターの標語にもなっているのでそちらでご存じの方もいらっしゃると思います。

後者の意味するところは、5ヵ年計画の早期達成を煽るものですが、私の計画はまさにそれを地で行くものでした。で、それをできないのは自分に責がある、即ち自分が軟弱だからという整理をしていました。基本的に前例がないことは不可能を意味しない、を自身のポリシーにしているため、できることを一つ一つ積み上げたら万事できるはずだと大真面目に思っています。ここで計画の実現可能性を考えなかったのかといえば、それは考えました。がしかし、これが2+2=5になるところでして、期限から逆算する以上は計画はマーケットイン的な発想になります。自社リソースは仕組化と機械化と生産性の向上で何とかする前提で構築された中期経営計画の完成です。

この中期経営計画、ビジョンも戦略も戦術も方法論も綺麗に整っています。これらを上長に説明して合意を得られる程度には筋が通っていましたし、今でも間違っていないと理解しています。唯一の欠点は人間の心身が保てないほどに厳しすぎるというところだけでした。

人間は機械にはなれないらしい

この2020年、私は人間をやめようとしました。将来ビジョンも明確、日々の生活は完全に目標に向けて設計され、これらをこなせば目標が達成できるはずでした。

しかしながら、私は人間でした。残念ながら。主治医見解を伺うと、常人は心身が壊れる前に感情に流されて計画が終わるらしいのですが、私は恐ろしく左脳優位で理性が全てを制御しているという構図らしいです。それはそうだなと思う点が複数ありました。繁忙期中盤から心身がおかしいと思っていたので、戻るとしたらその辺りだったのでしょう。

もちろんコロナ、部署異動、その他もろもろ偶発的なストレッサーも多くあったのですが、基本的に人間の耐えられる限界を軽く超えた生活を送っていたようです。休職のようなドラスティックな治療はMBA的にも普通の生活的にも厳しいので、計画の緩和で対処していますが、元の状態に戻るまでにはかなりの時間を要しそうな見込みです。修了考査等もあるため、生活を完全に治療に充てるわけにもいきません。まあまあ何とか付き合いつつ、それでも目標設定は変えずに期間延長しながらやる感じですね。

この将来見通し、最初は誰も理解してくれませんし、「今」は生じていません。しかし、私は5年から8年後辺りに「くる」と思っていますし、カンの良い人と理詰めで話すと賛同してくれるので間違っていないはずです。その「くる」時に必要なスキルポートフォリオを組んでいるのですが、まず行動すら理解されないので、傍から見るとひとり相撲で体調崩したバカのように映っているでしょう。

気づいたこと

「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ」byトーマス・エジソン

私にとってこの挑戦的な試みは失敗だったのでしょうか。いえ、失敗ではありません。確かに中経は狂いましたし、方々に広げた風呂敷を畳むのに苦労はしましたが、とりあえず誰にも迷惑をかけていません。また、いくつか気づいたことがあります。

  • 私は機械にはなれない
  • 心身の声に耳を傾ける必要がある
  • 失った健康を取り戻すのは難しい

1項目、当たり前だと皆さん思いますよね。しかし、私にとっては発見です。ビジョン、目標、戦略と戦術の立案、日々への落とし込みと仕組化さえあれば基本的に今まで突破できなかった壁はありませんでした。一例を挙げると、国家総合職も4か月で受かりましたし留学先ではオールAで帰国しました。就活で内定が取れないとかはありますが、その辺りは運も絡んでくるので、基本運が絡まないレベルまで落とし込み得るものは自身の努力でどうとでもできると考えていました。しかしそうではなかったいう発見がありました。要約すると、計画の実現可能性は表面的な次元ではなく、即ち量的な話だけでなく、質的な部分も踏まえなければならないということです。

2項目も上記に関連しますが、心身のシグナルを無視してはならないということです。休みたい、苦しい、死にたい、やってなんの意味があるんだ、この辺りの言葉を私は怠惰な人間の戯言だと切り捨ててきました。実際そういう思考に流されると目標というのは達成できないと今でも思っていますが、それにしても限度というものがあるというのが今回の発見です。実施主体が無理だと言うからにはそれが甘えかどうかを判断する必要があるということです。

3項目もまた私にとっては発見です。よくレジリエンスなんて言いますが、破裂した風船を膨らませるのは非常に労力がかかります。また、心の病は治療法も確立されていませんし外部から見たら甘えだと思われる節も多分にあるわけでして。身体的な怪我なら可視的なので、また絶対安静という風に言われても納得できるじゃないですか。じゃあ自律神経失調症なので勉強するなと言われて、自他ともに骨折やらと同等の目線で評価されるかというとそうではないと思います。でも実際なってみると、本当に意欲なんて湧きませんしまともに寝ることもできません。集中力が落ちているため、気を付けていても些細な失敗をしてしまうこともあります。日常生活を送るのがギリギリという感覚はなってみないとわかりませんね。早くパフォーマンスを戻したいと思い焦る自分がいる一方で、何をやっても回復が上手くいかず悩む自分もいる、目標の修正を最小限にしたい自分もいるでなかなか難しいなと思うところです。

おわりに

以上、人間やめた生活をしていたら計画が完全に破綻して、結果として精神疾患となり生命保険に入れなくなったという話をだらだらとさせていただきました。みんなもギリギリのラインは見極めて「幸せ」を目指してくださいね。私は「幸せ」が分かりませんし、多分暫く分からないんだと思います。

上で掲げているビジョンも所詮は生きているのであればこういった生存戦略が必要だという話であって、前提としている「生きている」理由も私には思いつきません。これが異常だと皆さんが思うならまあ異常なんでしょうが、私の中ではかなり強固に理論武装した真の命題なので、なかなか認知の歪みを修正するのは難しいですね。というか、ここまで追い込まれるまで機械化可能ということなのかもしれませんが。みんなは精神科にお世話になることなく、日々を楽しく生きてくださいね。5,000文字になってしまったので今日はこの辺で失礼します。アク試まで数週間。

ゲームの感想『リングフィットアドベンチャー』

最近急に寒くなりまして、私は早くも衣替えを完了いたしました。リモートワーク続きでまさか一回も着ない夏スーツがあったことに驚いていますが、皆さまはどうお過ごしでしょうか。

さて、コロナの影響か延々と品切れになっていた表題のゲーム、リングフィットアドベンチャー。ようやく抽選に当選したので、一週間ほど遊んでみました。今回はレビューがてら感想でも書きたいと思います。本来ではここでリンクなど貼るところですが、Amazon等は転売が横行しているので公式サイトでも貼っておきますね。

www.nintendo.co.jp

ゲームとしての完成度

当ゲームは様々な運動で敵を倒していくRPGとなっております。任天堂らしくというか、全年齢が楽しく遊べるように工夫された完成度の高いゲームだなあと感じました。私は下記の点で優れたゲームだと感じます。

  1. 運動負荷が調整できる
  2. ある程度全身を使うプログラムになっている
  3. 怪我をしにくい設計となっている

さて1.の運動負荷ですが、1-30の間で運動の負荷を調整できます。私は24とかでやってますが、こちらを調整することで普段運動していない人でも気軽にゲームを楽しむことができます。日頃そこそこ運動している人でもMAX近くにすることで敵が相当固くなるので、ゲームの難易度調整としてはよくできていると思いました。

次に2.についてですが、敵を攻撃するときに運動の種類を選ぶことができるのですが、敵とエンカウントする以外にもコース内でスクワット等の運動を要求されるため、ある程度全身を使わないと先に進めない仕様となっています。こちらも全身を幅広く動かしてほしいという製作者の意図が伝わってくるので良いと思いました。

最後に3についてですが、普段運動をしない人が急に運動すると怪我をするリスクがあります。こちらはストレッチすることや正しいフォームで行うことである程度軽減できますが、このゲームは運動前後にストレッチが選択でき、また正しいフォームで行えるよう適時に音声でアドバイスが入ります。これらによって怪我のリスクがかなり軽減されるのではないでしょうか。

「運動」ゲームとしての完成度

こちらどうやら筋トレゲームとの評判が一定あるかと思いますが、日頃筋トレしている人間からすると、こちらは完全に有酸素運動ゲームです。

そもそも筋トレで筋肉を大きくするという話だと、高負荷×短時間で筋肉をオールアウト(即ち1回もできないレベルに追い込む)させていく方向になります。やり方は千差万別ですが、例えば6-8回を数セットが限界になるように負荷を調整して行うものが狭義の筋トレになります。しかしそれだとゲームが進みません。また運動負荷を調節しても一回一回の負荷が変わるわけではない(回数が変化する)ので、基本的には自重+αのメニューが主となります。これらから、このゲームは低負荷×長時間の有酸素運動がメインとなります。

一応世間一般でいう筋トレメニューも色々とあるのですが、ジム等の高負荷トレとは質が違うため、筋トレゲームとの認識で購入した私はやや肩透かしを食らった感じです。ジムで筋トレした次の日のアホみたいな筋肉痛は生じない(ので毎日できる)ところからも、有酸素運動感が強いなあと思いました。まあ日頃運動していない人たちからすると丁度良いきっかけや習慣づけにはなるかと思いますが、結局狭義の筋トレは別の機会で行う必要がありそうです。

また、このゲームが抱える根本的な矛盾として、楽にクリアしようとする、ゲーマーとしては当たり前の思考が運動をするという目標を阻害するということにあります。ゲーム内アイテムや比較的攻撃力の高い運動(≠高負荷)を選ぶことでクリアは簡単になりますが、それだと運動をする時間は短くなってしまいます。そのため、ある程度縛りプレイをしないと運動の効果が出にくいという仕組みになっています。私はゲーム内の強化アイテムを使わないなどして調整していますが、アクションゲームと違って技術で敵の攻撃をかわせるようなスタイルではないので、いつかレベルやアイテムに頼らざるを得ない時が来るんだろうなあとは思いました。

まとめ

リングフィットアドベンチャーの感想でした。万人が怪我をせず健康的な運動習慣を作れるという意味でさすが任天堂、秀作だと思います。

一方で狭義の筋トレは仕組み上できないため、有酸素運動を楽しく行えるツールとして考えるとトレーニー各位も少し触ってみて気分転換してみても良いかもです。コロナで日頃の運動が不足している人には丁度良いかなと感じます。私も暫く遊びたいです。

 

生きにくさについていい加減気づいたこと

どうも皆さまお疲れ様です。ようやくようやく繁忙期も終わりを見せ始め、ほっとしております今日この頃でございます。

ブログに書くことなんて全て私事なのですが、特に私事なこととしては最近また歳をとりまして一歩ずつ昔漠然と考えていた大人に年齢的に近づいてまいりました。

はじめに

さて、歳もとって社会人として様々な方々とお会いしました。そこで気づいたことを書きます。ややアグレッシブな内容になりますが、特段これから書く人々が間違っているだとかダメだとかそういう次元の話ではなく、私から見た世界はこうだったということを淡々と述べたいだけです。そして、私のような人間はどう振舞うべきかを考えたいだけです。弱小ブログの雑魚の記事なんで、ここまででイラっときたらブラウザバックをお勧めします。

続きを読む