いっちの感じたこと。時々勉強法とか。

例えるなら具材たっぷりの鍋料理。

就活は大学生活の集大成なのか

ついこの間、知り合いが「就活は大学生活の集大成だ」と言ってたんですよ。これ、割と最近の(特に文系の)大学生は結構納得できる意見だと思うんです。

世間では就活の長期化が問題だと叫ばれ、経団連辺りが中心となって様々な取り組みがなされていますが、実際自分が就活した実感でもあまり効果があるとは思えないです。結局日本特有の本音と建前に企業と学生の双方が振り回されて、lose-loseになっている気すらします。経団連とかに所属してない企業が青田刈りするみたいなことも起きうるので、色々システムは改善する余地があると思います。

閑話休題しまして、やっぱり最近の大学生にとって就活は非常に重要なイベントです。まあ転職があるとはいえ、向こう何十年の社会人生活の入り口になりますから、当然といえば当然ですね。しかし、少し前までは(私はその時代を生きていませんが)、大学生活の集大成は卒業論文だという時代もあったような気がします。というか、私も大学に入学するまでは漠然と卒業論文なるものを書くのだろうと考えていました。

それが入学すると、まず社会科学系の学生は卒論が必修でないこともあると気付きました。私の所属する学部も選択必修ということで、書かなくても普通に卒業できると知って驚きました。必修でないとなると、卒業論文の意義はかなり薄れてくると言わざるを得ません。

考え方にもよりますが、大学の講義は卒論を書くための材料として提供されているのではないかと感じる時があります。経済学であれば、ミクロ経済学マクロ経済学線形代数解析学を知らないと先行研究を読むことができません。また学術文章を書くような講義を履修しないと論文の形式に沿った文章を書くことが困難になります。こんな感じで、まあ真面目に講義を受けることが卒論の完成度をある程度まで高めることができるんじゃないかなあと思います。

この視点に立つと、卒論がないとなかなか講義も身に入らないんじゃないかという気にもなります。よく日本の大学生は勉強しないという議論がありますが、そもそも勉強したものを使う機会に恵まれないのも原因じゃないかとも考えられます。就活で訊かれるのは大体学生時代頑張ったことなどで、チームで成果を挙げるなどいわゆるコミュニケーション力を評価されます。こういった評価軸に、必ずしも大学の学問は必要ありません。必然的に学業の優先度は落ちていきます。大学生が適当に取得する130単位前後の講義は、大卒の資格と4年間の猶予を与えてくれるに過ぎなくなってきています。

就活に特化した学生生活も本人がそれでよいと思うならいいんじゃないかというのが私のスタンスですが、政府はそう思っていないようで、だからこそ様々な施策を打ち出しているのだと思います。この時、就活を集大成にしないためには、勉強したことを活かせる何かを作りだすという方向性も考えられるのではないでしょうか。現状では大学で学ぶレベルの学問を活かせる場所が限られているように思います。意欲のある人は論文書いたりするのでしょうが、大学生のボリュームゾーンはそこまで活発ではないでしょう。

基本的に普通の人たちは迫られた状況にならないと勉強しません。定期テストがないのに勉強する中学生とか、受験もないのに机にかじりつく高校生はまれな存在です。であるならば、単に就活の時期をずらすということ以外に、彼らに勉強したことを活かせるような環境を提供することも勉強に対する動機付けの方法なのではないかと思います。