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本の感想『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』

こんにちは。今回は『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』という本の感想を書きたいと思います。

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

 

 大学進学率が50%を超えるようになり、大学自体も出口保証に力を入れる時代となりました。これは大学が大衆化し、大卒に特別の意味がなくなったことを意味します。こうした現代を生きる大学生の端くれとして、大学がいわゆるエリートの通う場所であった頃のことを知りたいと思い読んでみました。

まず教養主義がいかにして盛り上がり、そして衰退していったのかがマルクス主義も絡めて記述されています。古典を読み深めていく大正教養主義からマルクス主義の台頭。そしてそれへの弾圧から生まれた昭和教養主義という流れ。第二次世界大戦後に教養主義マルクス主義と接近する形で蘇り、大学の大衆化によって衰退したということが、様々な事例は人物の紹介によって解説されています。

実際私は現代の大学しか知らないですし、旧制一高だとか東京帝國大学だとかは国語の便覧や歴史の教科書でしか見たことがありません。しかし現代の大学を見るに、大卒の資格を取るために大学へ通う方々に漠然とした疑問を抱いているのも事実です。やはり大学は主たる目的として学問の追究があるのではないかと内心思っているのかもしれません。そういう意味で、教養主義というアイデアは理想的に映ります。しかし時代の変遷によって大学の社会的役割も変化しています。大衆化が進んだことによって、社会への多様な人材輩出の責任を負うようになったと考えています。

近年は人文科学系の学部を縮小させるなど、いわゆる実学に注力するような政策が採られています。こうした流れは古典を読むなどの活動と真っ向から対立しているようにも映ります。しかし、私は自然科学や社会科学を学んでいる身ですが、学んだことが直接役立つとは到底思えません。前にどこかで言及したかもしれませんが、私は大学レベルの学問を追究する学業以外での効果を、挫けない心や先人の教えを学ぶ謙虚さ、成り立っている論理をくみ取る力などを磨けることだと思っています。だからこそ何を学んでも良いと思いますし、役に立たないということだけで人文科学を否定するのはどうかと思います。

やや話が脱線しましたが、当時の大学生の意識や行動を知るには良い本だと思います。特に歴史や文化史など詳しくない私でも読めたので、そこまで難解でもありません。おすすめです。