人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

庶民感覚とは何だろうか

東京都知事のアメリカ出張費が高かったという話が話題になっています。

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この記事によれば、航空機はファーストクラスで、宿泊も一泊15万円の部屋だったそう。まあ私からすれば結構金かけてんだなあというところでしょうか。

そこで出てくる言葉が「庶民感覚」です。国民(この場合は都民かな)の代表たる政治家は庶民と同じような感覚を持てという批判ですが、この批判ってちょっと面白いなあと思います。先に申し上げておくと、私のスタンスは「都民の税金なんだから考えて使えよ」です。それを踏まえてちょっと庶民感覚についてみてみましょう。

庶民の代表≠庶民の生活

まず庶民の代表だからといって一般の庶民が送る生活を彼らはしていません。おそらく普通の人間は外国の重鎮と会談することなんてないでしょうし、逐一食べたものが報道されもしないでしょう。その点から見ると、庶民の生活をしているわけではないのだから、庶民が通常用いるものを使う必要性はないかなと思います。とは言っても税金を使う以上は、わざわざ高級な選択肢を選ぶ理由については説明責任があるとは思います。それは政治家としての義務です。しかし、説明の是非ではなく高い金を使ったことそれ自体のみをピックアップして叩くのはちょっと違うのかなと考えます。

もし庶民感覚を持っていたら

そもそも、一般庶民である私たちが、ファーストクラスに乗っていいよと言われたら乗りますよね。スイートルームに泊まっていいよと言われたら泊まりますよね。経費で良い選択肢を選べるなら、そちらを選ぶ。私は庶民感覚をそう解釈します。今回の件も、詳しくは調べていませんが、制度的にはファーストクラスに乗ってもOKだったと思います。もし知事が庶民感覚を持っているならば、当然経費でファーストクラスに乗るに決まってるのではないでしょうか。この点を考えると、庶民感覚を持てという批判はそもそも批判になっていません。もし一般庶民が同じ立場に立ったら、経費で高級ホテルに泊まりファーストクラスに乗るでしょう。

 

以上2つのことを考えてみました。個人的には庶民感覚という言葉よりも人の金を使っているという自覚を持てとかの方が、より問題の本質を突いているような気がします。どうしても人のお財布からお金が出ていると思うと無駄遣いするインセンティブが働きます。そこを政治家の清廉さでおさえるのが大事なのではないでしょうか。