胸襟を少しだけ開きたい

大学生が考えたことをつらつら書いていくブログ。本日の昼食から留学生活、勉強法から料理まで手広くカバー。

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L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature, mais c'est un roseau pensant.

日本の奨学金制度で思ったこと

最近奨学金について様々な議論が続いていますね。給付型の奨学金にしろだとか、仕事に就けないから奨学金を返却できないとか、そういうやつです。私も給付や貸与など様々な形式の奨学金を受けています。種類でいっても今まででざっと5種類くらいですかね。もちろん定番のJASSOの貸与型奨学金も受けています。この立場でちょっと色々思ったことをまとめたいと思います。

奨学金」という名前についての議論

よく「奨学金」は給付されるものだという議論があります。まあ実際その通りで、貸与型の奨学金(という言葉も変なのですが)は教育ローンと呼ぶべきでしょう。しかしながら、日本における奨学金が給付貸与の両方の意味を含んでいると社会的な同意があれば呼び名なんてどうでもよいと感じます。もちろん奨学金を借りている人間への返還意識を喚起するために名称変更するのはありだと思いますが、これは大きな問題にはなり得ないと思います。

海外との比較について

海外では奨学金は給付型でという話もよく聞きます。しかし私の聞く限り、そんなうまい話は少なくともアメリカにはなさそうです。アメリカでは授業料が日本の4倍くらいします。本当に高いです。その膨大な授業料を工面するため、学力など能力が普通の学生は、教育ローンを組みます。そして卒業後に長い期間をかけて返還していきます。給付の奨学金を受けられるのは一部の学生のみです。一部の私立大学では給付の奨学金を拡充していますが、それの取得は狭き門になります。まあ考えてみれば当たり前で、給付の奨学金は予算の都合上限られています。それが次の議論にもつながっていきます。

じゃあ給付にしたらどうなるのか

公的な奨学金を例えばすべて給付型にするとしましょう。その場合、給付できる人数が大きく減少することが予想されます。単純に貸与型の場合、奨学生が全員きっちり返還するならば、必要な経費は10年分くらいあればよいでしょう。奨学生が返還し始めれば、その分のお金を次の世代の奨学金に回せるからです。ちょうど今の年金のようなシステムになります。

しかしこれを給付にすると、毎年の予算のみが財源となります。その場合は給付可能な人数が大きく減少します。じゃあ誰に給付するのか。それは何かしらの形で選抜することになります。例えば試験の成績とか、家計収入などです。どのような方法で選抜するにしても、今までの制度であれば大学に行けていた学生が行けなくなってしまう可能性が出てきます。

どちらの制度が良いのか

給付にすると人数が限られ、貸与にすると返還義務が生じる。使える資金が決まっている以上、バランスを考えるしかないと思います。

その上で個人的な意見を述べると、あくまで大学は高等教育機関であるので、奨学金は給付中心にして選抜を行う方が性格に合っているのではないかと思っています。これから顕著になっていくと思いますが、高等教育を受けた人の割合に対して、それに見合った仕事がないという現象が起きています。これはとりあえず大学に行こうと思う人たちがいるのが一因かなと思います。奨学金の獲得の難易度が上がれば、そうした人々は違う道を模索するのではないでしょうか。したがって、大学以外の進路を選ぶ人たちへのサポートも当然必要になってきますし、裕福ではない方への機会平等を保証することも必要です。

 

あと1つ許せないのは、既に卒業した人たちが貸与型の奨学金はおかしいと言っていることです。もし制度に不備があったとしても、借りる選択をしたのは学生本人なはずです。それを後になって契約内容がおかしいというのはちょっと違うのではないかと思います。もちろん制度の不備を指摘して次の世代の学生が苦しまないようにするのは大事です。しかしそれと彼らの返還義務は切り離して考えるべきだと思います。

なかなか難しい問題ですが、ミクロでみた個人の学ぶ自由やマクロでみた教育の効果の両方を考えても、しっかりと議論がなされる必要がありそうですね。