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胸襟を少しだけ開きたい

大学生が考えたことをつらつら書いていくブログ。本日の昼食から留学生活、勉強法から料理まで手広くカバー。

Enjoy thinking!

L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature, mais c'est un roseau pensant.

出来事に意味はないというけれど

出来事それ自体に意味があるわけではなく、そこにどのような意味づけを行っていくかが大事である。そういう考え方があります。よく何かに失敗してしまった人を励ます時などに使われるようです。

例えば、失敗の分析をして次の成功につなげるとか、そういうやつです。試行錯誤の末、成功をつかむのは非常に達成感も覚えるでしょうし、失敗を糧にできたと言えると思います。こうしたパターンでは、失敗が成功につながったという意味づけができたといえます。

私も基本的にはこの意見には賛成です。過去を引きずっていても何か生産的になれるわけでもないですし、起きてしまったことに対して事後的にできることは、それを結果的に将来につなげるということだけです。失敗した、目標を達成できなかった、そういう嫌な出来事をプラスに変換するためには、現在や未来の行動で意味をつけていくしかありません。

でも、私はこのような発言を、失敗した人の前で言いたくないです。次頑張ればいい、次につなげれば失敗にも意味があったんだ、こういう言葉って力強くてきれいです。おそらく正論と呼ばれる考えなのでしょう。しかし、こういう言葉は反論を許さない冷たさがあります。頑張ってきて、それでもダメだった人に後悔をするチャンスすら与えません。

また、失敗を積み重ねていくと、確実に自分の中の何かが歪んできます。一所懸命に努力するからこそ、できないときに無力感を覚えます。何をやってもダメなんだ、そう思っている時に、この失敗を次へつなげようとはなかなか思えません。しかし、この正論は自分のダメさをさらに白日の下にさらけ出します。そういう風に考えられない自分を直視しなければいけなくなるからです。

もちろん自分のことを本当に良く知っている人から言われるのであれば、まだ受け入れられます。しかし、自分のことを良く知りもしないでそういうことを言ってくる人に対してはそう思えないですね。しかもこういう人たちって100%善意で言ってくる場合が多いと感じます。100%善意の正論って諸刃の剣だと思います。まあそんなわけで、人から言われると嫌なことなんで自分も言わないです。もちろん対自分では意識していますが、強力な正論は使いどころを考える必要があるなと思います。