人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

努力する才能について(2)

前回は、意志の持続難易度を次のように定式化してみました。

難易度=(苦痛・困難)×(期間)/(重要性)

前回の記事はこちら。

さてこの方程式が正しいとしましょう。ここから行動を持続できる条件は

(意志の強さ)≧(難易度)=(苦痛・困難)×(期間)/(重要性)

ということになります。意志の強さが難易度と同等か超えることができれば持続できます。

ここから2つの可能性を考えられます。努力する才能がある人は、

  1. 自身の意志の強さ(左辺)を難易度(右辺)より大きくすることができる
  2. 難易度(右辺)を自身の意志の強さ(左辺)より小さくすることができる

この2つはやり方が違うものの、どちらも目標達成のための行動が可能になる組み合わせになります。従って、周りから見て「この人は努力を持続できている」ということになるはずです。

人の意志の大きさが先天的に与えられたものだと仮定すると、1.に関しては割と世間一般の努力する才能に近いと思います。ストイックに行動を持続することができる、この人は努力ができるという感じですね。こちらに関しては才能のあるなしで考えても差し支えないでしょう。

では2.はどうでしょうか。私はこちらに関しては工夫次第で何とかなりそうな気がします。即ち、

  • 行動するための苦痛や困難を減らす
  • 期間を絞って先の見通しが立つようにする
  • 調べたり考えたりすることで重要性を自覚する

というようなことを、私たちは行うことができます。これらを意識することによって、たとえ先天的な意志の大きさ・強さがなかったとしても行動を持続することができます。

時折、凄まじい努力をしている人がそれを楽しいからやっているんだと言うことがあります。私の方程式によれば、これは苦痛や困難が小さいという状態です。将来のために必要なんだと言って資格取得のために頑張る人がいるとしたら、それは重要性が非常に高い状態だと言えましょう。高校1年生が全国模試のためにとても頑張っているとすれば、それは期間を短くしているということになるでしょう。

したがって、後者の場合は工夫次第でかなり何とかなると考えられます。というわけで、私は努力する才能は「世間で言われている程には存在しない」ということにしておきたいと思います。先天的に意志の強い人がいるということは否定できません。しかし、多くの人は先天的な意志の強さで努力しているのではなく、工夫で行動を持続していると考えます。その工夫を周囲の人は見抜けないため、努力する才能を持っている人の数を過大評価してしまうのではないかと思います。

私含め多くの人は意志が弱いと思います。それを行動できている人へのルサンチマンとして表現するのではなく、右辺を減らすための工夫を探すようにできればより生産的になるような気がします。