人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

そして自分の中に宇宙を見る

インターネットの普及によって、世界は本当に身近になりました。留学中の私も、スマートフォンやコンピュータを用いることで日本の友人と簡単に連絡を取ることができます。何か分からないことがある場合は、Googleで検索すればいくらでも情報が出てきます。Google Scholarで論文も読めますし、MOOCを利用すれば一流大学の講義を聴くことができます。知らない町でもストリートビューで景色を見ることができます。この状況はとても便利で幸せなことなのですが、私は世界が身近になったというより、狭くなったなあと感じます。

もちろん科学の発展は素晴らしいですし、私もその恩恵を受けています。しかし、この知りたいことがすぐに解ってしまうという状況はある種の退屈を感じさせるのもまた事実です。小学生が、見慣れない花を見つけ、図書館に行って図鑑を借りてきて、1ページずつめくって調べるような経験は、今はなかなかしにくいのかなあと思います。世界の事象の多くに答えのようなものが与えられ、解明されていないものが少なくなってきています。解明が進んでいない場所は深海や宇宙くらいでしょうか。

このように私たちはかなりの分野で答えを導き出しています。しかし、私たちは自分たちのことをあまりわかっていません。もちろん医学的見地や心理学的見地から研究は進んでいます。でもそれが万能であれば、世に氾濫する自分探しの本は無用の長物になります。自分に関して私たちはよくわかっていません。何がしたいのか、何のために活きているのか、人生をどのように過ごせばいいのか。こうした質問に唯一絶対の答えを与えるのは難しいです。宗教がこうした答えを考える材料を提供していると思います。

この観点で考えると、自分というミクロな存在と宇宙というマクロな存在は似ているのかもしれません。ある観察結果によれば、脳の神経細胞の広がり方と宇宙の広がり方は似ているそうです。知の巨人が大きくなるにつれて、知らないことは自身と宇宙という正反対の存在になったって、何か神秘的な気がします。