人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

努力する才能について(1)

世の中には努力ができる人とできない人がいて、したがって努力できるということも一種の才能なんだ、という話を時折耳にします。文脈としては、何らかの才能を持った天才に大しての才能のない努力家という二項対立があって、後者も実は前者に含まれるのではないか、といった主張ですかね。今回は努力する才能について考えてみたいと思います。サクッと検索した結果では、本当に賛否両論のようです。こういう物議をかもす命題は考えるのに最適ですね。

感情論では議論にならないため、まずは定義から考えていきましょう。まず「努力」とは何なのでしょうか。ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典によれば、

一般的には,外的な誘因よりも意志または意図によって維持される心的,身体的な活動と,その際に生じる主観的な緊張感をさす。

ということだそうです。定義からして主観的となっているのが議論が活発化する原因でしょうか。次に「才能」を調べてみましょう。大辞林 第三版によれば、

物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。

となっており、ここに「先天的な」というニュアンスはありません。おそらく議論すべきなのは、努力できる人は努力する天性の才能を持つ=努力の天才という命題なのでしょう。後天的に身につけられるならば身につければよいということになりますからね。才能は英語でabilityともgiftとも言いますが、後者のニュアンスが強いのでしょう。

さて定義を調べ終わったところで整理してみましょう。まず「努力」は「意志や意図など内面の力によって持続される心身の活動」で「(天性の)才能」とは「(先天的な)物事をうまくなしとげるすぐれた能力」です。よって、「天性の努力する才能」とは「先天的な、意志や意図を持続させることのできる優れた能力」という解釈になりそうです。そしてもう一つ注意したいのは、主観的な緊張感という説明があることから、努力しているか否かを決めるのは自分自身ということです。

この問題を考えるための手がかりとしては、意志や意図を持つことが誰にでもできるのか、そしてそれを持続できるのかどうかということです。例えば結構な人数の人たちが新年には新年の決意をしたり目標を立てたりします。それらを考えると、意志を持つことは誰にでもできそうです。したがって、やはりそれを維持するということに能力が要求されるということになります。もう今年が始まって2ヶ月半過ぎましたが、新年の目標の達成のために行動している人たちはどれくらいいるのでしょうか。

意志を持続させる要因を考えてみましょう。まずはその目標がどれだけその人にとって重要かという観点があります。基本的に楽をしたい生き物である人間が緊張感をもって取り組むわけですから、それには相応の理由が必要です。例えば、それをしないと死んでしまうとか、人生を棒に振ってしまうレベルであればほとんどの人が一所懸命に行動すると思われます。

次に挙げられるのが難易度です。それを行うのに多大な苦痛を伴うのであれば、なかなか続けることが難しくなります。ダイエット中の空腹などが苦痛に感じる女性も多いかと思います。それに対して、バナナを食べるだけのダイエットは続きそうですね。

また、期間も重要になります。その目標がどの程度の日数を見積もっているのか、ゴールが見えるか見えないかも大事な要因です。例えば期末試験前日の一夜漬けなどは、次の日には勉強しなくてもよいとい事実が多大な苦痛である徹夜の勉強を支えています。

というわけで、意志の持続難易度は次の式で表せそうです。

難易度=(苦痛・困難)×(期間)/(重要性)

長くなってきたので切ります。最近こういうパターンが多く申し訳ないです。