人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

次の方程式で表されたグラフをxy平面に書きなさい。r=2cosθ

こんな問題が当時のカリキュラムでは数学Cの極座標という単元で出てきました。日頃慣れ親しんだxy平面ではなく、rとθで表された平面に困惑したのは良い思い出です。これをxy平面で表すと、(x-1)^2+y^2=1となり、半径1の円になります。このようにxyで表そうとすると何やら複雑な方程式(これくらいなら大して複雑でもないですが)になってしまうとき、極座標で表示してやると簡単な方程式になる場合があります。特に物理学では重宝するようです。経済学でも計量経済学で座標変換のような概念は登場します。このようなことは現実社会でも行われています。要するに見方を変えてみるってやつです。一つの見方では複雑に見えることでも、角度を変えてみると案外見通しが立つことも多いです。

私は人の記憶に残る人生を歩みたいと思ってます。何というか、自分がいなくても共通の友人が飲み会で話題にしてくれるような、そんな人生を送りたいなと。そのような生き方をするために、私は一つの見方を持っています。それは、今までに前例がないということは、それを今までやった人がいないということを示しているのに過ぎないという見方です。大抵、今までに前例がないという言葉は、それが到底不可能であるというコンテクストで用いられます。これあまり好きではありません。不可能であると決めつけてしまってはそこで思考停止のように気がするからです。もちろん不可能であることも多いのですが、私はそこでいったん立ち止まって考えてみることにしています。

もっとも最近ですと、国家公務員試験と留学の両立でしょうか。情報収集のために大学の就職課に相談したら、絶対無理だと言われましたね。いやいやたかが10分の面談でなんで無理だと決めつけるのかと。結局合格して留学もできているので、諦めなくてよかったって話になります。成功するか否かに関わらず、人と違う見方ができるって、それだけで可能性が広がるんじゃないかなって思います。とりあえず人が右を向いたら左を向いてみると、結構面白い風景が見えてきます。