人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

H30年公認会計士試験答案開示結果(会計学午後)

こんにちは。今回は会計士論文式試験会計学午後の部(以下財務会計論とします)について、開示結果を分析していきたいと思います。

 全体の概要については以下の記事をご覧頂ければと思います。

財務会計論の素点等について

まずは開示成績についてまとめます。

第三問

素点:36/60

得点比率:29.6

偏差値:49.33

第四問

素点:39.5/70

得点比率:43.95

偏差値:62.79

第五問

素点:43.5/70

得点比率:47.8

偏差値:68.29

合計

素点:119/200

得点比率:121.35

偏差値:60.68

やや第三問の成績が芳しくないですが、第四問と第五問で引っ張った形で、合計では60を超えるに至っています。次に答案と照らしながら分析してみます。

第三問

答案はこちらになります。

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記述欄以外の正解数:10/18
はい、これは反省点しかないですね。S/Sで間違えまくっています。なぜこうなったのかよくわかりませんが、こんなん余裕やろと思って調子こいた結果だと思います。反面理論はほぼ解答できているので、理論に救われた感じでしょうか。素点が36点なので、計算で10か所×2点で20点、理論で16点といった形ですかね。問題が平易だったため、得点比率が伸び悩んだ形になります。

第四問

答案はこちらになります。

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記述欄以外の正解数:2/2

第四問は理論onlyなので分析し辛いですが、所感としては答練等より平易に感じました。特に講義から逸脱した問題は出ていないように思われます。もちろん私の答案に内容が足りない部分もまあまああるは思いますが、基本をおさえていればある程度かける問題だったのではないでしょうか。

それでも素点が39.5点なので、30点は落としているんですよね。典型問題における記述の精度は高めていかないといけないことが分かります。しかし偏差値に換算すると60を超えてくるので、母集団の平均はそれほど高くないこともわかります。

第五問

答案はこちらになります。

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記述欄以外の正解数:13/18

とりあえず印象深いのは仕掛研究開発の処理ですね。こんなん分からんわと困った記憶があります。そしてとりあえずぶち込んでみて、その部分は死んでいます。反面在外子会社の部分はそこそこの精度で合わせているので、上記のような結果になりました。

また理論についてはよくわからなかったので、間違いないことをうにゃうにゃ書く戦法でお茶を濁すことにしています。その結果、予備校の解答とは異なるものの、それなりの配点をもらえたのではないかと推測します。

素点が43.5点なので、計算13か所×2点で26点、理論で17.5点という感じでしょうか。理論は会計的に間違ったことを書かないということを意識すると多少でも点が取れるのではないかと思います。この程度でも偏差値68超えてくるので、基本をおさえつつ分からないところも嘘を書かないように逃げることでそれなりに何とかなることが分かります。

財務会計論まとめ

全体の偏差値は60.68でしたが、答練等の結果を踏まえ、まあこんなもんかなという印象です。もう少し第三問で稼げればという思いもありましたが、答案に穴がないので全体最適な解答ができたのではないかと思います。またこれくらいの答案で科目合格レベルははるかに超えられるという一つの基準になったのではないかと思います。今回は以上になります。

H30年公認会計士試験答案開示結果(会計学午前)

こんにちは。今回は会計士論文式試験会計学午前の部(以下管理会計論とします)について、開示結果を分析していきたいと思います。

 全体の概要については以下の記事をご覧頂ければと思います。

管理会計論の素点等について

まずは開示成績についてまとめます。

第一問

素点:25/50

得点比率:29.2

偏差値:58.4

第二問

素点:18/50

得点比率:28.55

偏差値:57.1

合計

素点:43/100

得点比率=偏差値:57.75

第二問の素点がかなり低いですが、得点比率にはそれほど影響していません。恐らく資金管理が埋没に近い形になったからだと思われます。次に答案と照らしながら分析してみます。

第一問

開示答案はこちらになります。字が汚いのは見逃してください。

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記述欄以外の正解数:12/17

恐らく問題2の問1のすべてに配点は振られていないと思われるので、実際はもう少し低めでしょうか。個人的には第二問に時間かけすぎて第一問に時間をかけられなかった印象があります。連産品の出題と円以下四捨五入の指示はクソだと思いました。

また予備校の解答と比較すると、理論は全体的に少しずれた解答をしているので、記述は半分くらい点が来ている感じがします。

素点が25点であることを考えると、計算等は9か所×平均1.5点で13.5点くらい、理論で11.5点くらいな感じですかね。まあこれくらい空欄でもそれなりに点がくるんだなあと思いました。

第二問

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記述欄以外の正解数:9/21

第二問は資金管理が意味不明だった記憶があります。それでも何とか2か所くらい拾えているので、拾えるところを拾う姿勢は大事かなと思います。でもまあ第一問に使っておけば全体最適だった気もするので、微妙なところですね。問題2は問題文読み間違えて計算落としているので、きちんと読んどけば全問正解できたはずです。ちょっともったいなかったです。

また理論については、キャッシュフロー計算書の意義とかわかるかボケと思いました。問題2の意思決定会計の記述はあまり外してないので、その辺で得点しているのかなと思います。素点が18点なので、計算等で9点、理論で9点みたいな感じですかね。

管理会計論まとめ

全体の偏差値は57.75でしたが、答練等の結果を踏まえるともう少し取れてもよかったなという印象です。やはりABCでの計算ミスが痛かったですね。また理論は簡単に正答できそうな問題(問題2の最後のやつとか)と解答困難な問題(C/Sとか)が明確に分かれていた感じだったので、差がつきにくかったかなという印象を持ちました。

まあこれくらいの答案で科目合格レベルという一つの基準になったのではないかと思います。今回は以上になります。

H30年公認会計士試験答案開示結果まとめ

こんにちは。最近随分と暖かくなってきましたね。長らく更新をさぼっておりまして申し訳ありません。今回は会計士試験絡みの記事となっております。

結構前の話になりますが、私の受験した会計士論文式試験の答案開示請求をしておりました。先日開示結果が来たので今後の受験生の参考になるかと思い、結果をまとめたいと思います。

H30年の全体の結果について

H30年の結果については、公認会計士・監査審査会のHPにまとめられているので、そちらを参考にして頂ければと思います。

平成30年公認会計士試験の合格発表について

1305人が合格し、願書提出者に対する合格率は11.1%だったそうです。前年と合格率はあまり変わらないので、今後も同じくらいの合格率になるのではないかと思います。

私の受験結果サマリー

とりあえずざっくりした私の受験結果を下にまとめます。数値は得点比率、かっこ内は順位です。

  • 総合得点比率:59.27 (195位)
  • 会計学:59.70 (217位)
  • 監査論:60.55 (310位)
  • 企業法:50.85 (1132位)
  • 租税法:64.20 (135位)
  • 経営学:60.20 (287位)

全体として安定して得点することができ、全体順位もそこそこ高めな感じになりました。企業法だけはコケてしまいましたが、企業監査のどちらかはコケると思っていたので想定内です。勉強時間に対する出来栄えとしては租税法がかなり跳ねたことに驚いています。やはり論文式試験では科目数が多いので、バランスよく点を稼ぐ姿勢が求められるのではないかと思います。

各科目の詳細分析と答案について

詳細については別記事に書いていきたいと思います。記事を更新次第、リンクを下に貼っていきます。 

命の重さの話

こんにちは。かなり昔から夜眠れないことが多く、それならブログでも書くかと思い、こうして書いております。今日は命の重さについて考えてみます。

煙の重さの測り方

まあいつものように小話からいきましょう。皆さんは煙草の煙の重さの測り方はご存知でしょうか。随分古い映画の中で、こんな測り方が紹介されています。まず精密な秤で煙草の重さを測ります。次に煙草を最後まで燃やします。そして灰の重さを測れば差し引きで煙の重さが分かるというものです。人間の命も同じように測れますかね。死ぬ寸前の人間の重さを計測して死んだ直後に重さを測れば、命の重さも出るんじゃないでしょうか。

命の価値は本当に平等か

さて小話もこの辺にして、本題に入ります。一般に命の価値は平等とされていて、人によって差はないものとされています。人類みな平等みたいなものです。しかし道徳的な観点以外で考えると、そうではない結論も導けそうな気もします。例えば経済的な観点では、たくさんお金を生み出せる人の方がそうでない人よりも重要だということもできそうです。また将来性を考えると、年齢という軸でも考えることが可能かと思います。どこぞの白熱教室ではありませんが、目の前に人が2人いてどちらを助けるかということを思考実験として考えたときに、こうしたことを考える必要が出てきそうです。まあ答えがないのは百も承知ですが、少し考えていくことにします。

どのような人を死なせたくないか

私たちは人が死んでしまうと悲しいですが、具体的な悲しみの度合いは亡くなる人によって異なるのが現実です。例えば肉親や配偶者を亡くしてしまうと本当に悲しい気持ちになりますが、TVのニュースで殺人事件が起きたことを知ってもそれほど悲しくはなりません。日本で年間に殺人事件で300人程の被害者がいますが、関係がない人の死をあまり悲しまないのではないでしょうか。ここから、私たちは関係の深い人をなくすと悲しいということが分かります。次に芸能人の訃報について考えます。一方的に知っているだけの普通の人も、芸能人が亡くなったことに悲しみを覚えることがあります。関係というのは双方向である必要はなさそうです。

以上から、多くの人たちがその死を悲しむ(=死なせたくない)人は、多くの人から認知されて深い関係を築いている人だということができます。

命の重さは人々の記憶

深い関係を築いていたり多くの人の印象に残っている人は、より死なせたくないと思われているということがわかりました。これはその人が記憶されている総量が多いことを意味します。一世を風靡したスターの訃報が悲しいのは、その人をよく知っている人が大勢いるからです。肉親を亡くして悲しむのは、一緒に過ごした年月が長いからです。

こうして考えると、世の中の人々の記憶総量がその人の命の重さと言えるかもしれませんね。脳の記憶が電気信号によるものならば、命の重さは〇〇GBとか表せちゃうかもしれません。この記憶重いなあ、なんて話が落ちたところで筆を置きたいと思います。

就活は大学生活の集大成なのか

ついこの間、知り合いが「就活は大学生活の集大成だ」と言ってたんですよ。これ、割と最近の(特に文系の)大学生は結構納得できる意見だと思うんです。

世間では就活の長期化が問題だと叫ばれ、経団連辺りが中心となって様々な取り組みがなされていますが、実際自分が就活した実感でもあまり効果があるとは思えないです。結局日本特有の本音と建前に企業と学生の双方が振り回されて、lose-loseになっている気すらします。経団連とかに所属してない企業が青田刈りするみたいなことも起きうるので、色々システムは改善する余地があると思います。

閑話休題しまして、やっぱり最近の大学生にとって就活は非常に重要なイベントです。まあ転職があるとはいえ、向こう何十年の社会人生活の入り口になりますから、当然といえば当然ですね。しかし、少し前までは(私はその時代を生きていませんが)、大学生活の集大成は卒業論文だという時代もあったような気がします。というか、私も大学に入学するまでは漠然と卒業論文なるものを書くのだろうと考えていました。

それが入学すると、まず社会科学系の学生は卒論が必修でないこともあると気付きました。私の所属する学部も選択必修ということで、書かなくても普通に卒業できると知って驚きました。必修でないとなると、卒業論文の意義はかなり薄れてくると言わざるを得ません。

考え方にもよりますが、大学の講義は卒論を書くための材料として提供されているのではないかと感じる時があります。経済学であれば、ミクロ経済学マクロ経済学線形代数解析学を知らないと先行研究を読むことができません。また学術文章を書くような講義を履修しないと論文の形式に沿った文章を書くことが困難になります。こんな感じで、まあ真面目に講義を受けることが卒論の完成度をある程度まで高めることができるんじゃないかなあと思います。

この視点に立つと、卒論がないとなかなか講義も身に入らないんじゃないかという気にもなります。よく日本の大学生は勉強しないという議論がありますが、そもそも勉強したものを使う機会に恵まれないのも原因じゃないかとも考えられます。就活で訊かれるのは大体学生時代頑張ったことなどで、チームで成果を挙げるなどいわゆるコミュニケーション力を評価されます。こういった評価軸に、必ずしも大学の学問は必要ありません。必然的に学業の優先度は落ちていきます。大学生が適当に取得する130単位前後の講義は、大卒の資格と4年間の猶予を与えてくれるに過ぎなくなってきています。

就活に特化した学生生活も本人がそれでよいと思うならいいんじゃないかというのが私のスタンスですが、政府はそう思っていないようで、だからこそ様々な施策を打ち出しているのだと思います。この時、就活を集大成にしないためには、勉強したことを活かせる何かを作りだすという方向性も考えられるのではないでしょうか。現状では大学で学ぶレベルの学問を活かせる場所が限られているように思います。意欲のある人は論文書いたりするのでしょうが、大学生のボリュームゾーンはそこまで活発ではないでしょう。

基本的に普通の人たちは迫られた状況にならないと勉強しません。定期テストがないのに勉強する中学生とか、受験もないのに机にかじりつく高校生はまれな存在です。であるならば、単に就活の時期をずらすということ以外に、彼らに勉強したことを活かせるような環境を提供することも勉強に対する動機付けの方法なのではないかと思います。

Appleは今日も平常運転

Apple storeの新店舗が新宿にオープンしたそうです。

japanese.engadget.com

私もiPadの新しい機種を買おうかなあと検討しているので、人が落ち着いたら覗いてみようかなと思っています。

さて、皆さんはスティーブ・ジョブズをご存知でしょうか。ご存知だと思います。Appleの創業者の一人で、映画化もされている超有名人です。私もYoutubeでスピーチを聞いたりプレゼンを見たことがあります。あのカリスマを他人が真似するのは難しいと感じました。

皆さんご存知の通り、彼は既に故人となっています。次々に革新的なガジェットを世に送り続けてきた彼がいなくなって、Appleがどうなったかというと……その後も様々な商品を展開して元気に営業中です。

こんな記事を書いている割にはAppleについて詳しくないので、彼の立場などはよくわかりません。実は後進の育成をしっかりしていたのかもしれません。しかし、彼のような天性の才能を持った人ですら、何かしらの形で代替されるという事実に私は少し驚きました。一族経営でもない大企業であるため、人が一人亡くなったからといって即座に倒産ということは考えにくいでしょうが、現状彼がいなくなったことで私のような素人にも分かるような大きな事態は起こっていません(製品の質が下がったとかはあるかもしれませんが)。

結局何が言いたいのかというと、私たちは良くも悪くも代わりの効く取るに足らない存在なんだなあということです。あのジョブズでさえ、(不完全かもしれませんが)代替されているのに、私たちのような一般市民が代替されない存在なことがありましょうか。

そう書くとまたネガティブな記事かよと思われるかもしれませんが、この取るに足らない存在であるということはポジティブなメッセージも内包しています。私たちが何をしようがしまいが世界はそんなに大きく変わらない、ならば私たちは逆説的に自由に何でもできるということです。法的な責任が生じるかもしれませんが、明日突然会社をバックレても、まあおそらく会社は倒産しないでしょう。大学中退したってそれが世界の破滅にはつながりません。

つまり、自分は取るに足らない存在だと考えることで、もっと気楽にやりたいことやって生きられるんじゃないかという試みです。色々悩んでしまう人は、自分に対する期待度をポジティブに下げるのもありなんじゃないかと思います。

隣のあいつが凄いことは、あなたがダメなことを意味しない

こんにちは。新年度も始まり、花粉が猛威を振るっていますが皆さんお元気でしょうか。私も無事大学を卒業して、所属上は社会人となりました。というのも、特に研修やお仕事をしているわけではなく、会計士試験の勉強をしているだけなので、まったく実感がわいていないのが現状だったりします。まあこの話はおいおい記事にしたいと思います。

さて、よく他人と自分を比べて落ち込むなんてことをした経験が、皆さん一度くらいはあるのではないでしょうか。私はたくさんあります。周りは優秀なのに比べて、自分はどんなに無能で取るに足らない存在なのだろうと、よく感じます。この記事を書いている今この瞬間も、そう思っています。というわけで、今回は他人との比較について考えてみます。

他人と自分を比較してしまう人、しない人

まずざっくり大きく2つに区切ると、世の中には他人を気にして比較してしまう人と気にしない人に分かれます。この違いはどこから生じるのでしょうか。私はその人の置いている目線が関係しているのではないかと思います。

他人と比べてしまう人の目線:可視的なもの

他人と比較できるものは目に見えるものです。例えば年収とか、試験の合否とか、まあふわっとしていますが人望とか、そういう要素が比較対象になり得ます。俺も頑張ってるのにあいつの方が成績が上だ、みたいなことってよくありますよね。他人と比較してしまう人は、比較できるものに意識を置いているから比較してしまうのだと思います。

他人と比べない人の視点:見えないもの

では他人と比較しない人は何を見ているのでしょうか。おそらく目に見えない何かなはずです。例えば目的やそれを行う意味、などでしょうか。こうしたものは外に現れにくく、一概にどちらが優れているとかそういう基準もありません(まあ人に迷惑をかけるとかだと別かもしれませんが)。何か目的なのか、やりたいことなのかに意識を置くと、他人と比べることをしなくて済むかもしれません。

具体例:模擬試験

ちょっとわかりづらいので卑近な例で考えてみることにしましょう。皆さんも一度は受けたことがあるでしょう、受験のための模試を題材として取り上げます。ああいう模試って学内順位とかも出るタイプもあって、結構露骨にクラス内での順位とかわかるんですよね。もちろんそうではないものもありますが、今回はそんな模試を受けた人たちの受け止め方を考えます。

他人と比べるAさん「うわ、模試の成績悪すぎ。なんでクラスのあいつより順位下なんだよ。絶対あいつより勉強してるのに」

他人と比べないBさん「模試の成績悪いなあ。クラスのあいつより順位下だ。でも模試を受ける目的は志望校の合格に近づくためだから、弱点を探せたな」

書いてて適切な具体例か怪しく思えてきましたが、Aさんはよくある他人と比較するタイプの人だと思います。高校時代の私がモデルです。それに対してBさんは、模試を受けた目的にフォーカスしているため、あまり他人と比較せずにいられています。

しかし、Bさんも受験に失敗したら合格した人と比較して落ち込んでしまうかもしれません。それは合格を目標にしてきたのだから当然です。では受験に合格するのは何のためなのでしょうか。そこに視点をもっていければ、人と比べずに済みそうです。

目的の自覚

このように考えると、私たちの目に見える(=人と比較しがちな)ものは、その人のしたい何かに繋がっていると考えることもできそうです。勉強して良い成績を出す目的は志望校に入るため、志望校に入る目的はそこで〇〇するため、〇〇する目的は××するため……というようにずっと続いていきます。他人と比べずにいられる人は、自分にしっかりと向き合った結果、その目的が比べる必要のないところまで到達しているのかもしれません。そんな先のことは考えられないというのもごもっともですが、あくまで暫定的でいいのではないかと思います。模試の時は志望校に入るためと思っておけばよいし、受験失敗の時は大学に入る目的を考えればよいと思います。

今回なんでこんなことを考えたのかというと、昔記事にした自分要らないんじゃないか思考が強まったのもありますが、入社式で聴いたお話が示唆的だったからです。まずは一つの専門性を磨きなさい。そうすることでチームで複雑な課題の解決に貢献できる、まあそんな話でした。私はこれを聴いて、なるほど全部一人でやる必要はないのかと当たり前のことに気付きました。世の中複雑化してきているので、一つの分野を勉強するのにそれなりに時間がかかります。そうであるならば、隣りのあいつと違う強みを持つことで、シナジー効果を用いてチームで達成できることを増やした方が得策です。これはある能力を持つことは問題解決につながるからだという視点をもつことで出てくるアイデアかと思います。隣りのあいつがいかに優秀であろうと、自分はチームに貢献するために専門性を磨いていけばいいのだと、お話を聴いていて感じました。

うーん、なんか網羅性の足りない感じにはなっているけれど、今日書きたいことはこれくらいです。私自身がどうしても自尊感情を高く持てないというか、自分要らないんじゃないかと思ってしまう節があるため、自分の存在価値を少しでもポジティブに考えられるようにしていきたいですね。