人生短し走れよ私

人生のピークを過去に設定するにはまだ早いんじゃない?

学歴フィルターを気にしなくて良い理由

最近花粉症の症状が出始めました。皆さんも悩まされているかもしれませんが、早めの対策で少しでも症状を軽くしていきたいですね。

さて今回は、学歴フィルターについて思うところを書いていきたいと思います。

学歴フィルターとは

あいつのページでは空席なはずの説明会が俺のページでは満席になってる、そんな事態が就活では起こり得ます。このような現象が起きる原因を俗に学歴フィルターのせいとか言ったりします。企業が受験生を選別する際、一定以上の学歴(この場合は大学のランク)を有していない場合は、選考に参加できないようにする仕組みです。世の中には早慶上智であるとかG-MARCHであるとか、ある程度の偏差値帯で大学を区分したりまとめて読んだりします。そして、ランクの低い大学の学生を説明会など選考に参加させないことを学歴フィルターがあるなどといいます。切り方も様々で、説明会の満席表示に始まり、ESの中身を読まずに落とす、Webテストの結果での足切りラインを高くするなど色々パターンがあるみたいです。

企業側の思惑

彼らが学歴フィルターを用いる理由は、限られた予算の中で良い人材をたくさん採用したいからです。近年はインターネットを用いたオンライン出願がデフォルトになり、どの大学の学生も世間一般で一流とされる大企業に出願することができます。その昔の指定校制度や限られた大学のみ紙媒体での会社案内が来ていた時代とは大きく異なります。企業側(特にB to Cの企業)では、好感度などを考えると、出願自体に制限をかけることは難しいと思われます。しかしながら、例えばSPIを学生に課す場合は一人当たり何千円とかかるなど、とにかく採用活動にはお金がかかります。面接にしてもES読むにしても社員の人件費はかかってくるわけで、特に数万人の応募を受け付ける企業ですべての学生を捌くことは難しいわけです。

この時活用できるのが学歴フィルターです。ほとんどの大学には偏差値で均質化された学生が在籍しています。基本的には高校時点での学力に適した大学に入学するわけで、おおよそ大学によって学生のレベルも決まってくるということになります。したがって、大学を見ることで学生の能力をある程度推し量ることができます。そして、採用活動は、自社にとって有益な人材を採用することが目的です。全員を精査できない場合、有望な学生がいそうな大学に集中して資源を投下するのは合理的だと言えそうです。

学生側の受け止め方

この学歴フィルターですが、学生側にとっては頗る評判が悪いです。学歴だけじゃなくてもっと本当の自分を面接で見てほしいと思う学生も多いですし、そもそも学歴で何がわかるんだあんなもんは高校での学力を測ってるに過ぎないじゃないかなど非難の嵐です。また、企業が隠れてこういう行為をしていることに何か不平等なものを感じてしまうのかもしれません。

学生一人ひとりの本質を選考で確認するのが理想ですが、企業もその行為を合理的だと考えている以上は、なかなか現実が動くこともないでしょう。とすれば、私たちはその現実を受容した上で受け止め方を考える必要があります。私個人としては、学歴フィルターは気にする必要がないと考えます。その理由は以下の2点です。

  • 企業の予算配分
  • 企業の人的資源の偏り

企業側についてもう少し考えましょう。上記をまとめると、採用のコスパを良くするために大学でフィルターをかけるということになります。ここで気にすべきは、この企業は採用に十分な予算を割けないということです。もちろん人気企業で予算が無限にあっても足りないということはあるかもしれません。しかし、比較的コストの安いwebテスト以前の段階で足切りする企業は採用予算が少ないのではないかと疑います。学歴が基礎学力や地頭を担保するならば、webテストで調べてみれば現在の状況がわかるわけです。不正が横行しているなどの問題点もありますが、その得点率で選別しても良いと考えます。将来の会社を支える人的資源を確保するために十分に予算を割けない企業が、競合他社に勝てるのでしょうか。

また、企業の人的資源の側面も、企業を評価する上で大事だと考えます。学歴フィルターをかければかけるほど、まあ同じような大学の人たちが集まります。例えば某省庁を想像してみてください。東大ほとんど京大ぼちぼち早慶僅かという世界です。多様性なんて生まれようがありません。近年はグローバル化も進み、多様な人々が協働して業務をこなしていく時代になりつつあります。このような状況において、多様な性質を持った人々が企業にいないということを、私は負の要素と捉えています。ビジネスのサイクルが早くなる中で、同じような人材しかいない企業は将来性が乏しいのではないかと思います。

以上をまとめると、学歴フィルターをかける企業ってそもそも生き残れるのっていう話でした。ちなみに私はふつーの大学に所属しています。学歴フィルターにはかけられて落とされる側です。インターンの段階でも、200文字ESで切られたり履歴書で切られたりしました。ですから、現実を納得するために無理矢理考えた屁理屈だとの批判もあるかもしれませんね。まあそうだったとしても、学生が現実に対してイライラしたり憂えたりするよりは、生産的ではないかなあと思います。

完全に余談ですが、私が受けている業界では、業界一位の企業において学歴フィルターにかけられたことはありませんでした。きちんとインターンに参加できたり、選考に参加できたりしています。その反面、業界で中堅どころの企業では切られることが多かったです。こうした経験から、上記の仮説を思いつきました。

現実は時として不条理かもしれませんが、頑張っていきたいですね。

パネルマジック

3月1日ですね。本日就職活動が公に解禁となりました。就職活動中の皆さまもそうでない皆さまもこんにちは。

今回は履歴書の話でもしたいと思います。誰でも一枚は書いたことのあるあの書類です。近年はインターネット全盛の時代。電子データを送れば終わりという融通の利く企業もありますが、ほとんどの企業は未だ手書き履歴書を提出するように言われます。私も先日初めて履歴書を書きまして、和暦を使うだとか貴社規定に従いますだとか、そういうルールを勉強しました。

就活生にとっては企業との初めてのコンタクトとなる書類になるため、手書きであればできるだけ字がきれいな印象の良いものを提出したくなります。そこに目をつけたのが写真業界です。就活生用の雑誌を見て頂ければわかると思いますが、証明写真を撮ってくれるスタジオがたくさん広告を出しています。曰く、証明写真で好感度アップ!とかきれいに修正!など。このようなうたい文句が並んでいて、お値段が大体諭吉くらいします。なかなか良いビジネスだなあと感心しました。

まあ感覚的に美男美女の方が印象良いような気がしますが、あの手この手できれいに撮った写真は証明写真たりえるのかがやや疑問ではあります。よく写真と現物が違うことを俗にパネルマジックといったりしますが、それに近いことが"証明"写真で起こってしまうことが興味深いです。

ちなみに私は某カメラ専門店で撮ってもらいました。最近はデータで証明写真を提出することも多いため、画像データの入ったCDをもらえるサービスがついていたため選びました。お値段は野口2枚くらい。お安い。

話は変わりますが、留学中もインターンシップなどの応募に際し、履歴書などを作成しました。ここで興味深かったのが、すべて自分のフォーマットで作成することと、生年月日や写真を挿入しないということです。前者はともかく、後者は年齢や人種などで差別をしないためということを伺いました。日本ではこうした情報は基本情報として履歴書に記入します。このように相手に先入観を与えてしまう材料が履歴書に使われるからこそ、きれいに撮ろう証明写真というビジネスも生まれるんだなあと思います。

個人的には、清潔感など常識的なところを外していなければ、証明写真で落選ということは無いんじゃないかと思います。履歴書で落とされる人の大部分は学歴フィルターの類でしょう。なんといっても面接で直接対面するわけで、そこで素のルックスは見られてしまうわけですから、そんなに気にすることもないんじゃないのかなと思います。もちろんルックスが大事な業界では、学生時代頑張ったことと同じくらい力を入れるポイントかもしれませんね。

グループディスカッション攻略法(4)

長々と書きましたが、今回で終わりです。過去の記事はこちらです。

GD中の立ち振る舞い(cont.)

開始30分~終了時くらいにすること

順調に進んでいれば、ホワイトボードもしくは紙に書かれた内容はざっくりこんなことになっているはずです。

  1. 議論の前提と定義(目的・目標・言葉の意味など)
  2. 現状分析(ややブレスト気味でも良い)
  3. 構造化された課題(因数分解されているとか因果関係が整理されているとか)
  4. 何らかの軸で整理された打ち手

最後にしなければいけないことは、議論のまとめです。基本的には書いていった内容を皆で共有して、手落ちがないか確認します。ここで重視すべきは全員での合意形成です。しっかり議論をしていれば、全員が納得しているはずです。それを面接官に明示することが大事です。ここで加えられた意見も議論の一部として紙に書いておくのですが、ここまで来ると仔細に議論することができないため、あくまでこういう意見も出たという形になります。あまりこうしたことのないようにしていきたいです。

GD後の立ち振る舞い

GD後はかなりの割合で議論内容の発表が求められます。そしてたまーに議論の感想などを求められることもあります。そちらについて書いていきます。

発表(発表者の場合)

発表というと身構えてしまう方もいらっしゃると思いますが、ここでの発表は前のパートで確認した議論内容を話すだけです。ここで注意すべきことは、結論ファーストになるよう構造を変えて話すことです。GD中は現状分析→打ち手という流れになっていますが、発表時はまず提示された課題に直接答えるようにしましょう。「〇〇の売上向上策は何か」と訊かれたら、「今回は〇〇の売上向上策について議論しました。結果、××という打ち手が最も有効だという結論に至りました。まず議論の前提として…」みたいな形にするのが自然でしょう。大体1~5分でまとめなければならないため、細かいところはすっ飛ばして大事なところをまとめていきましょう。

そして時間の9割くらいで発表を終えて、「何か付け足すところはありますか?」などと他の学生に振っても良いかもしれません。発表も独断で進めてませんという感じを伝えられるかもです。

発表(発表者以外の場合)

暇だーやったーと喜んではいません。しっかり発表者の話を聴いておきましょう。次の感想タイムで発表について言及することもできるようにするのが肝要です。

感想タイム・フィードバックタイム

ここではPDCAサイクルのCができるかを見られています。今回の議論を振り返ってどう感じたのか、良かった点と改善点を感想に入れ込みましょう。時間も30秒から1分程度が普通なので、「今回の議論で良かった点は〇〇で、ここでの議論が結論を良いものにできたと思います。一方で改善点は××だと感じます。時間の制限もある中ですが、もう少し深められれば結論がより具体的になったと思います」みたいな感じですかね。

また他の学生のファインプレーを褒めることや自身の至らなかった点を述べることも、議論を客観視できている証拠になるでしょう。

 

 

とっても長くなりましたが、GDの記事は以上になります。お読みになってくださった方々に感謝です。GDは練習が重要ですので、是非様々な場面で練習して経験を積んでいって頂ければと思います。

「外資系」の領域の話

最近寒さも多少和らいできましたね。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

今回は「外資系企業」について書きたいと思います。といっても、選考の話ではありません。よく日系企業と比較する形で外資系企業という区分が用いられますが、いったいどの企業が外資系企業に相当するのかという話です。IT分野ではIBMマイクロソフト、コンサル業界ではマッキンゼーなどが外資系企業と呼ばれています。

さて、まず辞書的定義を調べてみましょう。以下ブリタニカ国際大百科事典の定義を引用します。

外資系企業
がいしけいきぎょう
foreign affiliate

日本に進出している外国資本と関係の深い次の4種の会社の総称。 (1) 外国法人。 (2) 外国人が資本金を全額出資して設立した純外資会社。 (3) 日本の法人または日本人が,外国法人または外国人と共同出資して設立した合弁会社外資系企業(がいしけいきぎょう)とは - コトバンク

定義を見る限り、会社を成り立たせる資本が外国由来のものかどうかということになります。外国法人や外国人の資本が入っている企業を外資系企業というらしいです。

この定義通りに企業を分類すると、上の例で挙げたマッキンゼー外資系企業になります。日本におけるマッキンゼーは、McKinsey & Companyの日本支社となります。では、一般に外資系企業と呼ばれている会計事務所源流のコンサルティング会社(DeloitteやPwCなど)を考えてみましょう。DeloitteやPwC合同会社という形態をとっています。そして経営は、日本の会社のパートナーが独自に行っています。この場合、外国の資本は特に会社を構成していないことになります。上記の定義に照らし合わせると、外資系企業に当てはまらないのです。もちろんこうした企業は世界中のメンバーファームと協働して業務をこなしていますが、定義としては外資系から外れます。

そう考えると、意外と外資系企業って少ないのかもしれません。私はコンサル業界くらいしか知りませんが、厳密に分類すると"なんちゃって外資"な企業もありそうです。別に外資系だから偉いとか日系は下だとかそういうことはまったくないのですが、調べてみるとイメージと違うこともあるものだと思いました。

 

グループディスカッション攻略法(3)

さて今回もGDの攻略法について書いていきます。細切れになってしまい申し訳ありません。前回前々回の記事はこちらを参照してください。

GD中の立ち振る舞い(cont.)

開始10分~30分くらいにすること

GDは議論の枠組み作りができれば結構スムースに進むと思います。決めた方向性で議論を進めていきましょう。

いわゆるクラッシャーへの対策

参加者がとんでもなく賢くて、議論がサクサク進めば何の問題もないのですが、そういうわけにもいきません。たまーに議論を崩壊させる参加者の方がいらっしゃるので、しっかり防衛策を練る必要があります。

例えば目立たないと切られる病に罹っている方は、とにかく意見を言いまくるという行動をとる可能性があります。また、精緻な議論をしないと切られる病の罹患者は、細かいところまで話そうとします。どちらも議論の上で重要なことなのですが、行き過ぎると議論が発散したり、逆に広がりがなくなったりしてしまいます。このような方々への対応は、協調性を示すチャンスだと思いましょう。

困っているからといって、その人と真っ向から対立するのは一般的に好まれません。対人能力の低さをさらけ出してしまうことにもつながります。ではどうすればいいのか。例えば意見を言いまくる人に対しては、

「確かにそういう見方もありますね! でも今は〇〇についての議論なので、この議論を深めていきませんか?」

「その考えはありませんでした。こちらに書いておきますね」

そんな感じで軽く流して議論の脱線を防ぎましょう。

意見を言わない人への対策

たまにGDなのにも関わらず、意見をまったく言わない人っているんですよね。こういう方を無視して議論を進めることもあまりお勧めしません。全員での合意形成が取れていないという評価を頂くことにもなりかねません。

こういった方に意見をおっしゃってもらうためには、こちらから何かを問いかけるのが有効です。ですが、議論中に黙ってしまう方へ「〇〇について△さんはどう思いますか」と言ったところで沈黙が流れるのが関の山です。

こういう時には尋ね方を工夫しましょう。例えば〇〇について議論している時に、

「〇〇は××と言う理由で他より優れていると思うのですが、△さんはどう思いますか」

のように、なるだけ質問をクローズに近づけることが重要です。もしくは、

「今までの議論で〇〇は××であることが分かってきたかなと思います。△さんもそうお考えですか」

のように、議論の要約をすることで質問に答えやすくなります。全員が議論に参加することは、特にファシリテーター役の責任になるため、意識しておいた方が良いかと思います。

適切に構造化を進めよう

まあここまでがイレギュラーへの対応なわけですが、現実的にボトルネックの特定とかをどのように進めるかという話が出てきます。この辺もGD対策の記事で多数書かれているので、ここでは軽く解説するに留めます。例えば売上向上策などでは、フェルミ推定の後ドライバーの特定ということになりますが、時間の限られたGDにおいてはある程度問題をシンプルに構造化することが重要です。定義や前提を共有しているため、そこから因果関係の整理や仮説形成を進めていきましょう。

打ち手の考察・効果の推定は何らかの軸で進めるとすっきり

ここまで来たら終わりが近いです。あとはどんな手を打つかということを議論すればおっけーです。構造化ががっちりしていれば、打ち手はサクッと出てきます。奇抜なアイデアが出るのに越したことはないですが、少なくとも私はそういうアイデア力に頼れないので、堅実にいくことをお勧めします。この時注意すべきなのは、打ち手の優先順位を何らかの軸をもって決定していくことです。これは初めに決めた目標などにもよりますが、基本的には時間とインパクト、コストなどを考慮していくと良いと思います。

例えば時間とインパクトを考えるとして、時間短×インパクト小の打ち手にまず着手し現状を少しでも改善するだとか、目標に応じて優先順位を変えましょう。

申し訳ありませんがもう一記事だけお付き合いください。

グループディスカッション攻略法(2)

需要があるのかわかりませんが、今回もオレ流GD攻略法を記事にしていきたいと思います。前回の記事はこちらを参照してください。

さて前回はGD前に既に戦いは始まっている的なことを書きましたが、今回は議論中はどうしたらいいんだよという疑問に応えていければと思います。

GD中の立ち振る舞い

もう一度強調しておくことですが、GDの難しさの一つは、思考力や基礎知識が未知数の学生が初対面でいきなり議論をすることにあります。前回のGD前の立ち振る舞いも、基本的な意図としては、相手のことを良く知ることにありました。GDが開始された後も、基本的によくわからない人と議論することを前提に立ち振る舞いを考えていく必要があります。大体45分くらいのGDを想定して、考えていきましょう。なおGDには課題解決型や何か一つのことについて議論を深めるものなどありますが、ここでは課題解決系のGDを想定します。

開始5~10分くらいにすること

GD開始時のやることはそんなに複雑ではありません。議論全体の方向性を定めて時間配分を確認。求められているゴールと言葉の定義などを皆で共有していくことが重要です。

役割分担は緩やかに。ただしタイムキーパーくらいは決めるのも良いかもね

まずは役割分担というのはあまりおすすめしません。なぜかというと、ファシリテーターやる人が上手くひっぱれないとGDが崩壊するからです。いつものゼミとかなら、気心知れた人たちでの議論になるため、大体誰がリーダーに向いているか分かると思います。しかしGDでは、頼りになる情報はその人の自己申告のみになります。目立たないと切られる病の罹患者は、まず司会なりリーダーなりに立候補したがるので、明確に役割分担をしてしまうのはややリスキーだと思います。あくまで緩やかに役割分担をしておいて、臨機応変に対応できるようにしておいた方が安全です。

また、よくも悪くもリーダーで議論の質が変わるため、自分がリーダーになってしまうのは大いにありな戦略です。なにせGD参加者の中で自分の力量だけは誰よりも知っていますし。この場合も立候補して明確に決めるというよりは、始めの口火を切るだけで大丈夫です。一言目を発するだけで大体議論の主導権を握れます。私も8割方のGDでファシリテーター役を担当していました。

でも主に時間を確認する役割の人は決めてしまうのも良いと思います。時間内に議論がまとまらないことだけは避けたいので、時間を意識する人はいた方が良いです。私は腕時計を机の真ん中において、皆で確認できるようにしていました。

某有名日系企業のGDでは、時間配分と議論の収束具合についての指摘を受けたので、タイムキーパーの有無に関わらず時間意識をしっかりもちましょう。

前提を整理し定義を共有、議論の方向性を定めよう

この辺は様々なGD対策で言われていることですが、一応説明しておきます。議論の初期段階では、皆の認識のすり合わせと議論の枠組み作りをしましょう。具体例を挙げて考えてみましょう。某外資系企業で「女性の社会進出を促進させる方法」についてのGDがありました。この時私が曖昧だと感じた点は、

  • そもそも社会進出とは何か、何を以て計測するのか
  • 社会進出を促進する意味は何?ゴールはどこ?
  • 地域はどこか(国はどこか・都市部か地方かなど)
  • 対象は誰か(ビジネスパーソン?主婦?それとも高齢者?)
  • 実施主体はどこか(政府?企業?NPONGO?)
  • タイムスパンはどの程度か(短期的手法?長期的手法?)

まあパッとこれくらいは思いつきました。こういうことが曖昧なまま議論していると、どうしても議論のまとまりがなくなってしまいます。例えばある人は政府の政策を前提に意見を言っていたのに、別の人は企業の女性への支援策について考えているなんてことが容易に起こり得ます。またゴール設定とタイムスパンも事前に共有しておかないと、いつまでにどれだけの成果が出せるのか定量的な評価が難しくなります。議題によって曖昧な点は異なりますが、初対面の学生同士が同じ認識でいることはほとんどあり得ないため、必ず行っておくことを強くお勧めします。

このように議論の前提をすり合わせることによって、おおよそ議論の方向性も定まります。大体の枠組みとしては、現状分析→問題の構造化とボトルネックの推定→打ち手考察→打ち手の効果の推定→まとめという順序で議論が進んでいくと思われます。現状分析の部分で認識のすり合わせが必要です。開始5~10分くらいで枠組みの打ち出しまで終わらせると比較的好スタートを切れていると思います。

字数も多くなってきたので、続きはまた次回に回します。大体1200~1500文字をひとつの目安としているのですが、読み手からするとどう感じられるのでしょうか。

 

本の感想『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』

こんにちは。今回は『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化』という本の感想を書きたいと思います。

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

 

 大学進学率が50%を超えるようになり、大学自体も出口保証に力を入れる時代となりました。これは大学が大衆化し、大卒に特別の意味がなくなったことを意味します。こうした現代を生きる大学生の端くれとして、大学がいわゆるエリートの通う場所であった頃のことを知りたいと思い読んでみました。

まず教養主義がいかにして盛り上がり、そして衰退していったのかがマルクス主義も絡めて記述されています。古典を読み深めていく大正教養主義からマルクス主義の台頭。そしてそれへの弾圧から生まれた昭和教養主義という流れ。第二次世界大戦後に教養主義マルクス主義と接近する形で蘇り、大学の大衆化によって衰退したということが、様々な事例は人物の紹介によって解説されています。

実際私は現代の大学しか知らないですし、旧制一高だとか東京帝國大学だとかは国語の便覧や歴史の教科書でしか見たことがありません。しかし現代の大学を見るに、大卒の資格を取るために大学へ通う方々に漠然とした疑問を抱いているのも事実です。やはり大学は主たる目的として学問の追究があるのではないかと内心思っているのかもしれません。そういう意味で、教養主義というアイデアは理想的に映ります。しかし時代の変遷によって大学の社会的役割も変化しています。大衆化が進んだことによって、社会への多様な人材輩出の責任を負うようになったと考えています。

近年は人文科学系の学部を縮小させるなど、いわゆる実学に注力するような政策が採られています。こうした流れは古典を読むなどの活動と真っ向から対立しているようにも映ります。しかし、私は自然科学や社会科学を学んでいる身ですが、学んだことが直接役立つとは到底思えません。前にどこかで言及したかもしれませんが、私は大学レベルの学問を追究する学業以外での効果を、挫けない心や先人の教えを学ぶ謙虚さ、成り立っている論理をくみ取る力などを磨けることだと思っています。だからこそ何を学んでも良いと思いますし、役に立たないということだけで人文科学を否定するのはどうかと思います。

やや話が脱線しましたが、当時の大学生の意識や行動を知るには良い本だと思います。特に歴史や文化史など詳しくない私でも読めたので、そこまで難解でもありません。おすすめです。